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翌朝。5時半に車内の明かりがつく。稚内市内に入ったとのアナウンス。よし、これなら間に合うだろう。市内の停留所で3か所に停まり乗客が下車。窓の外を見ると風が強い。ちなみに今日はフェリーは欠航らしい。引き続き外を眺めていると「どわぁ~!!」 なんとマックができていた。しかも24時間営業。つーか節操ねぇな。スキあらば即進出だな。
5:50分、駅前ターミナルに到着。結局駅前ターミナルまで乗ったのは僕を含めて2人だけ。そのあしでターミナルのビルに向かう。瞬間的に「ありゃ??」と思った。前と建物が変わっている。つーか場所が変わってるではないか。てかここどこよ??暗くて場所がよく分からん。とりあえず建物の中に入りツアーのチケットを買う。しかしこのビル、出来てまだ新しいようだ。とてもきれい。まだ新築の匂いがする・・・ような気がする。
初日の出ツアーのバスには乗客が22人。これプラスもう一台出ているらしい。
7時前に宗谷岬到着。強烈な風が吹き荒れている。しかしたくさんの人で賑わっている。お約束の三角形のモニュメントのとこで写真を撮って丘の上に上がる。まぁ風の強いことよ。でも僕は山の格好なので寒くはない。山の装備って非常に優秀だ。
心配していた天候の方は予想よりは良かった。猛吹雪になるのかと思っていたけど雪は降らなかった。しかし初日の出は望めなかった。全然ダメだったわけではないんだけど「賀正!!」みたいなものとは程遠いものだった。「ん??なんか明るくなったかな」って思ってる間に雲の隙間からちょろっと見えただけ。まぁしょうがないか。初日の出をのぞんだ丘の上には結構テントが多い。こういうのも楽しそうだ。そういや昔行った開陽台でも正月にテント張ってたな。下の駐車場にはライダーの姿も見える。最北端には旅人をひきつける魅力がある。
帰りのバスは32人。宗谷岬から乗り込んでいたテント人の人数分増えた。駅へと戻る帰り道ですき屋を発見。稚内も俗化しつつあるなぁ~。バスを降りたのは僕の記憶にある方の宗谷バスの駅前ターミナル。建物がとり壊されてるけどこっちの方が僕的にはしっくりくる。明るくなって気付いたけど新ターミナルは道を挟んでお隣だった。
本日もあとは札幌を目指すのみだ。20:30分発、稚内からのスーパー宗谷4号に乗り込む。今日は岩見沢で最後の乗り換えをして札幌へ。その後は大通りバスセンターから稚内行きの夜行バスに乗る。稚内から来た列車で札幌方面に向かいそのあとバスで稚内に向かう。なんか変な感じだな。
列車は快調に札幌に向け走っていたところ滝川の一つ手前の駅、江部乙で停車。「ん?どうした」
ここで車内アナウンスが入る。なんと前を走る列車が何かと衝突したらしい。最悪だ。間に合うのか???
本当ならば滝川に到着しているはずの21:00を過ぎても列車はまだ動かない。21:10分でもまだ動かず。もうダメだ~。札幌まで乗り通そう。やきもきしながら時計とにらめっこしていると21:16分、ようやく発車。原因はキツネ。心の中でキツネに「ナムナム」しながらも23:00発のバスに乗れなかったらと考えると気が気ではない。結局20分遅れで札幌に向かうことになった。岩見沢には23分遅れで到着。すると乗り換える予定の小樽行きの普通列車は健気にも待っていてくれた。その心意気に感激し(ウソ)、スーパー宗谷から飛び降りた。小樽行きは17分遅れで岩見沢を出発。列車はそれまでの2列のリクライニングシートと違い都市近郊のロングシートで味気ない。しかし札幌まで特急を乗り通すほどの財力はないのでやむを得ない。札幌には22:29分に到着。バスセンターには地下鉄で向かっても充分間に合うだろうけどここは大事をとってタクシーで向かう。予想以上にバスセンターは近くタクシーで5,6分で到着した。ここに来るのは今回で2度目。前回はここから函館行きの夜行バスに乗ったんだけどその時の記憶が全くない。なんか初めてくるような感覚だ。中に入るとテレビで紅白をやっていてちょうどトイレの神様のとこだった。今年は司会も松下奈緒ということで川西祭りって感じだ。窓口でチケットを購入しトイレ(大)の方へ向かう。そこでびっくらこいたのがトイレのボロさ。小の方は僕が子供のころの駅でよく見た仕切り的なものが一切ないみんな一列に並んで壁に向かっておしっこするタイプのもの。(表現下手だな・・・) 大の方も洋式のものは一つもなくすべて和式。しかも古い。札幌のド中心に位置する天下の大通りバスセンターのトイレがこんなんだとは非常にびっくりした。どうせならこれからもこのままで突き進んでほしい。
22:50分にバス到着。運転士氏に明日の朝、6:10分発の宗谷岬で初日の出ツアーのバスに間に合うかどうかの確認をする。「わからん」との返答を頂く。まぁ仕方がないな。明日こそは大荒れとの予報が出てるし「間に合う」と言って間に合わなかったらあとあとめんどくさくなるもんな。間に合うか間に合わないかはとにかく行ってみないことにはわからない。間に合わなかったらその時はまた考えよう。とりあえず定刻の23:00、最北の街を目指し夜行バスは発車した。
改札を抜け駅の近くにある歩道橋を目指す。ここからは遠軽駅の構内をスッキリと望むことができる。去年は列車の到着が遅れてまともに写真が撮れなかったけど今年はゆったりと撮ることができた。白滝からの普通列車と網走からのオホーツク。今年は満足できた。しかしまぁ去年・・・つーか今年の元旦だな・・・の段階ではまさか1年後に再びここに来ることになるなんて思いもしなかったな。ま、幸せと言えば幸せか。
その後食料調達のためにコープへ買いだし。少々値は張ったけど海鮮サラダという名のついた刺身がごろごろ入ったサラダを購入。今度はこれを肴に発泡酒だ。駅に戻り再び列車に乗り込む。網走からやってきた列車は表面上は遠軽行きとなっているけど実際には1時間19分停車したあとそのまま旭川まで走り通す。
遠軽を出ると窓の外はもう暗い。車内には塘路からずっと一緒のクロスワードのおじさんと宿題やってた親子もまだ乗っている。親子の方は鉄というのは分かるんだけどこのおじさんはいったい何者なんだろう。網走辺りに里帰りする人かと思ってたけどどうやら違っていた。車内ではクロスワードやってたりなんか読んでたりしてあんまり車窓を楽しむ様子はない。ここまで乗ってるということはきっと旭川まで行くのだろうけどこんな遠回りしなくても釧路からなら根室線と富良野線で旭川に向かう方が断然早い・・・と思ったんだけど18きっぷで行くなら釧路発5:45分発の始発に乗らない限り乗り継ぎの関係でこっちの方が早くなる。でもただそういう理由で釧網線、石北線経由で旭川まで向かっているようには思えない。僕の想像だけど別に車窓にかじりつかなくても車内の雰囲気を楽しみながらクロスワードやったり本を読んだり寝たりしながらのんびりと過ごすのを目的にしてるんだろうと思った。大人の楽しみ方だなぁ・・・と勝手に思ってみたりする。
僕の方も今回はゆったり過ごす。去年は窓の外にかじりついていた。とくに白滝の辺りからはどこかにあるであろう廃駅跡を見てやろうとある意味必死だった。海鮮サラダと発泡酒で一杯やる。いやー今回の旅は飲んでばっかりだなぁ。極楽極楽。白滝あたりの石北線後半の核心部に差し掛かっても寝たり時刻表を眺めたりボーっと外を眺めたりのんびり過ごした。いや~心の余裕って大切だなぁ。そういう風に過ごしているうちに上川に到着。37分停車する。ここで歯を磨き駅のスタンプを押しここまで乗ってきた列車を撮影。やってることは去年と変わらん。
上川を出るとなんとなく旭川の勢力の圏内に入ったような気分になる。あと1時間で終わっちゃうな~と前日の滝川ー釧路間の列車みたいな気分になる。旭川の街の光が見え始めついに終着旭川に到着。とうとう駅が高架になっていた。めちゃくちゃ斬新なデザインだ。かつ当たり前ながらめちゃくちゃきれい。帯広と函館を足して2で割ったような感じの駅だ。いやーすごい。でも少し寂しいな。前の駅舎も国鉄時代の重厚さを感じさせてくれるいい駅舎だった。最近駅舎のリニューアルが多いな。大分といい高知といい、そうそう地元の大阪もそうだ。いいような悪いような・・・。ギャレももう少しで終わりだな。さぁ次は札幌に向かおう。
留辺蘂の手前で「相内」という駅がある。「あいのない」と読むんだけど「愛の無い」とも受け取れる。「銭箱」とか「幸福」とか「愛国」とか北海道の駅には(幸福も愛国ももう廃止されてるけど)縁起の良い駅名のイメージがあるけどこんなところに伏兵が隠れていたとは・・・って去年思った。今年は「また来ましたよー」と心の中であいさつして通過する。留辺蘂到着。去年は下り列車が遅れていてここでの列車交換はなかったけど今年は遅れることもなく予定通りここですれ違い。そして列車は常紋越えのおひざ元の金華に到着。ここで普通列車と列車交換しいよいよ常紋越えに挑む。エンジンを轟かせトルク感たっぷりでゆっくりゆっくり常紋峠を登ってゆく。GPSも持っているのでスイッチを入れる。時速は25キロと28キロの間くらい。ゆっくりながらも力強さを感じる。進行方向左手にちょっと不気味なスノーシェードみたいなのが見えこちら側もスノーセードに入る。そして出口が見えたところで奴が大きく口を開けていた。常紋トンネルだ。いろいろ噂される常紋トンネルを2年連続・・・ではなく実際は2010年の元旦にくぐったわけだから今年2回目の通過をする。2010年は元旦に常紋トンネルを通過し大晦日にも通過。2010年はまさしく常紋トンネルで明けて常紋トンネルで暮れる一年であった。
列車は何事もなく常紋トンネルを通過し昨年とは違って定刻通り遠軽駅へと到着した。
するとグットタイミングで新刊の11巻が発売されていた。早速購入。川西に着くまでの間読みふけっていた。ちなみに僕は漫画本にもブックカバーをかけてもらう。なので正直、表紙がどんなのだったかという記憶がほとんどない。そんな感じなので以前ジュンク堂に立ち寄った際に「新刊出てねぇかなぁ」と駅弁ひとり旅を探していた時に「おぉ~出てるじゃないの!!」と10巻を購入。電車に乗り込み早速ページをめくると「ぐふぉ!!!」
それは紛れもなく以前読んだことのある話だった。そう、2冊目の10巻購入でございました。
今回は「最新刊」の札がついているものだったので安心して購入。そして今日の帰りにすべて読み切った。そこで非常に共感できる話があった。それは飯田線を全線乗り通すという件。「日本一忍耐を要求される列車」「鉄道我慢くらべ大会」という件を読んで「わかるわ~」と激しく同意した。
あれは僕が大学生だった頃。(2年の時だったかな??) 当時、別に「乗り潰し」というものを意識してやっていたわけではなかったんだけどどこかからの帰りに(あんまり記憶がはっきりしてない。碓氷峠最後の夏だの帰りだったか??いや冬だったかもしれん。諏訪湖が凍ってたような気がしないでもない・・・とにかくこの頃は気が狂ったように乗りまくってたからよく分からん。)今まで乗ったことがないということで飯田線で帰ることにした。途中天竜峡で豊橋行きに乗り換えた。このあたりまでは周りの景色も見えてまぁいい感じだったけどそこから雲行きが怪しくなる。天竜峡を過ぎると窓の外の光自体が少なくなって外の景色が見えなくなる。今なら飯田線の知識もそれなりにあるから色々と興味を持って乗っていられただろうけど当時は名前を聞いたことがあるくらいの知識しかなかった。その状態での夜の飯田線はまさに走る牢獄と化す。窓の外は真っ暗すぎて何も見えない・・・つーか窓に映る自分とにらめっこしてる自分に気付く。車内はガラガラ。することもない。眠くもない。だーれも住んでないのにやたら駅の数が多い。だんだんとうんざりしてくる。駅の間隔が異常に短く地下鉄並みにすぐ停まる。これが延々豊橋まで繰り返されるのだ。三度の飯より電車に乗るのが好きだった僕もこれにはホント気が狂いそうになった。電車好き・・・つーか完全に鉄ちゃんを自負していた僕が生まれて初めて「もうゆるしてくれぇぇぇぇ」と本気で思っていた。時刻表を見ても行く手にはおびただしい数の駅が控えている。停まれども停まれどもだーれも乗ってこない。だーれも降りない。途中で車掌がどこまで乗るのかを少ない乗客に聞いてまわる。とにかくちょっと動いてすぐ停まるというのを延々と繰り返す。「拷問だよ、これは・・・」
豊川についたあたりで「やっとゴールが見えてきた」と感じ、豊橋に着いたときには「・・・疲れた。もういいわ・・・」と鉄道好きとは思えない感想で心がいっぱいになったことを覚えている。そのあと終電の早い鶴舞線に間に合わせるために名鉄特急を使ったような気がする・・・いや新快速で帰ったんだっけ??もう記憶もぐしゃぐしゃだ。しかしこれだけははっきり覚えている。
「飯田線はほんとにしんどい」
以上。僕の飯田線の記憶でした。
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