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2008年12月23日
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DSC_0635.JPG渡波発16時48分の小牛田行きに乗車。ここからは北海道へ向け、まずは東北線へと復帰する。




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DSC_0636.JPG16時59分、石巻着。13分停車するのでその時間を利用して駅のコンビニで夕食&ビール・つまみを調達。あと女川でびた一文落とせなかったので地元のためにもう一品ということでクジラの大和煮の缶詰を購入。石巻で加工されたもので630円。会社で飲む時用に持っていこう。







DSC_0639.JPG17時12分、小牛田に向け出発。車内で夕食。その後食後の一杯。旅の車内でのこの一杯が旅に深みを与えるねぇ。
窓の外を眺めながら今日一日目で見たことを回想する。当初は行くか行くまいか迷っていたけど今回ここを訪れてよかったと思う。理屈なしにとにかくよかったと思う。そして17時51分、小牛田に到着した。これからは北海道へと北上していく。
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15時28分、代行バスの女川駅に戻る。
DSCF0775.JPGふと気づくとここはミヤコーバスのバス停でもあった。「どんなもんじゃい」と時刻表を見ると次のバスは15時30分の石巻駅行き。2分後である。「なにを~!!」
JRの代行バスならば僕の持っている北海道&東日本パスで乗れる。しかしミヤコーバスだと運賃を払わなければならない。代行バスは16時15分発。もし15時30分発のこのバスに乗ったとしてその先はどうなるのか??石巻までは先行できるとして結果的にあとから来た代行バスに追いつかれることになれば乗る意味はないな。時刻表を開いて調べたいけどあいにくバックパックの下の方に入れてしまっている。そうこうしてるうちにバスがやってきた。「うわ~どうしよ??」
結局乗るのをやめてしまった。運転手氏は「乗るの?乗らないの?」という雰囲気だったので僕の方も「乗りませんビーム」を出した。
バスが行ってしまってからプレハブ小屋のようなバスの待合所に入る。雨が降っているのでこれはありがたい。屋根を打つ雨音を聞きながら時刻表を取り出し確認する。先ほどのバスに乗っていたらどうなっていたか。結論的には「乗っときゃよかった~」 
今回この女川を訪れるにあたりいつもは使うことがない新幹線を利用する。盛岡から新青森間だ。運賃・料金で6000円弱もかかる。貧乏旅の僕的にはかなり大きな出費だ。ただこうしないとこの日のはまなすに乗り継げないしその金を払ってでもここに来たいと思った。
で、話を戻す。もしこのバスに乗っていれば予定よりも1本早い石巻線に乗り継ぐことができ盛岡からの新幹線も新青森までではなく八戸で下車してもはまなすに間に合う。もしそのまま新青森まで乗り通せばはまなすを入線から出発まで悠々と満喫することも出来た。バスで石巻までいくらかかるのか知らないけど少なくとも盛岡ー新青森間を乗り通すよりは八戸で下車した方がトータルで安くなるだろうな。いやーやっちまったな~。つーかおかせいで飯も食えなかったしミヤコーバスにも乗らなかった。結局地元にびた一文落とさなかった。乗り継ぎがどうとかせこいこと考えずに乗っときゃよかったなー。
f10931f8.jpegそして周囲が暗くなり始めた16時15分、JRの代行バスに乗車。女川を出発した時には僕を含めて2人の乗客しかいなかったけど終着の渡波駅に到着した時には10人程度になっていた。石巻線。やはり地元の足として必要だ。早期の復旧が実現するようここから願った。



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がんばれ!石巻線

僕は代行バスの女川駅の場所に関して疑問を持っていた。なぜこんな山の上に停留所を置くことにしたのか。
当初、家でバス停の位置を確認していた時のこと。他のバス停は本来の駅に近いところを停留所としているのに女川だけは女川駅を通り過ぎかなり離れた坂の上(山の上?)に置かれている。しかしそれは実際に来てみてよくわかった。ここには大規模な仮設住宅群があるのだ。坂の下にあった女川の中心部、女川駅周辺はすべて津波で流されて住宅は一切ない。誰もいないところにバス停を作るよりも多くの人が住むこの場所にバス停を設置する方が理にかなっている。
DSCF0716.JPG仮設住宅は運動公園内の競技場の中に建てられていた。僕は仮設住宅というものを初めて見たんだけど2階建てのものもあれば3階建てのものもある。テレビでよく見る平屋建ての仮設住宅とは何だか雰囲気が違う。団地、もしくはアパートのように見える。



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仮設住宅をあとにし坂を下っていく。がれきは大方片づけられおり、遠目にはエリア全体が造成地のようにも見える。しかし実際現場を歩いてみるとやはり津波の爪痕が色濃く残る。僕自身、わずかな時間ながらこの女川駅で下車し駅前を歩いた時の記憶があるので非常にショッキングな光景だ。恐ろしさも感じる。
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女川港方面をのぞむ。この区画のどこかに女川駅があった。今はもう跡形もない。





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言葉が出ない。ただただ「頑張れ、頑張れ。」と思った。




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コンクリートの建物が根っこの部分ごとひっくり返っている。この建物は女川交番。




これも根DSCF0734.JPG元からひっくり返っている。地盤が下がったのか海水につかっている。






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・・・・・。





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言葉が出ん。






DSC_0608.JPG「がんばる女川」の文字には地元の人の底力というか文字通りの「がんばろう」という力強さを感じる。この地に再びみんなの生活が戻ることを切に願う。





そして女川での目的地へと向かうことにする。全県ランにも登場したお寿司や海鮮丼のお店「おかせい」だ。
「今日の昼食は女川のおかせいで食べる。地元のおいしい海の幸を食べるんだ。」と楽しみにしていた。
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なにか看板が立ってるなと思い近づいてみるとなんと件のおかせいの看板であった。







DSCF0730.JPG海岸に沿ってお店を目指して歩く。その途中で見たのが「こんなところにあっちゃだめだろう」という水たまり。明らかに海水っぽい水たまりが何か所あった。それは岸壁の脇であったり海から少し離れたところにあった。よく見ると地面から水が湧き出している。たぶん潮の満ち引きの関係で水が湧き出しているんだろうけど地震の影響で地盤が下がっているのかもしれない。


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岸壁の脇にも。





DSCF0752.JPGそしておかせいに到着。時刻は14時53分。混雑するのは嫌なのでこの時間に到着できて好都合。「空いてておくれ~」と思いながら入口に近づくと「ん??」
何やら看板が・・・




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げっ、マジかよ!!
遠路はるばる川西からやってきたというのになんという結末。「そんなぁ~」って感じである。ただ、いま見ると「持ち帰り予約はできます」って書いてある。「持ち帰りの予約」ができるのか「持ち帰り」と来年の席か何かの「予約」ができるのかよくわからんがこのときは「本日終了いたしました」の文字しか目に入らなかった。そしてとぼとぼと山の上にある停留所の女川駅へと引き返していった。

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医療センター方面を望む。





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町の姿はこんなになってもみんなこの町を愛している。




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バス停に戻る途中に見つけた。懐かしい。僕が高校生くらいの時のだな。おそらく持ち主は僕と同世代の人だと思われる。大丈夫だったんだろうか?無事であってほしいとつとに思った。



DSCF0765.JPG津波はこの奥の墓地の上まで列車を押し流した。






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負けるな!
DSCF0686.JPG12時42分、陸前小野を出発し石巻へと向かう。代行バスの終点である矢本でそこそこ人が乗ってきてそれからは終点の石巻までそれなりに人が乗ってきた。





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13時04分、石巻到着。すぐ後(13時05分着)にやってきた石巻線の列車に乗り換える。




DSCF0690.JPGこの列車は2駅先の渡波止まり。そこから先は再び代行バスとなる。僕はそこから女川を目指す。
13時09分、列車は渡波に向け出発。石巻から女川に向かうこの風景。前回は3年前に来たけどその時の感覚がよみがえってきた。しかしあの時とは今では状況が全く変わってしまっている。考えてもどうしようもないんだけどあの地震さえなければと思ってしまう。

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東北らしい広い農地。この辺りは無事だったようだ。






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13時20分、渡波に到着。




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すぐ先には車止め






DSCF0700.JPG再び代行バスに乗り込む。13時25分。女川行代行バス出発。駅前から国道へと出てそこから女川を目指す。沢田あたりから石巻線を右手に見ながら走る。沢田を過ぎるとなんとなく「線路が新しいな。いやバラストが新しいのか??」と思っていたら新潟の保線区からやってきた保線用の車両が停まっていた。さすがに年末かつ日曜日のこの日は作業はしていなかったけど、この光景を見て「あぁ復旧に向かっているんだな~」と少しうれしくなった。野蒜駅の付近の草がボーボーの線路を見ていただけに雑草の生えていない復旧途上の線路を見て頑張ってほしいと思った。
浦宿までは国道も線路と平行して海岸線を走る。今は穏やかできれいな景色だ。浦宿を過ぎて女川の街なかに入る。すると「うわ・・・」  思わず言葉をなくしてしまった。そこは何もなくなってしまっていた。「街なか」ではなく「街なかだったところ」といった方が正確かもしれない。すべてが流されて荒涼とした風景が広がっている。ほんとに何もない・・・。
DSCF0713.JPGバスはその街なかを通り抜け、坂の上にある「代行バス」の終点・女川駅に到着した。
9:42分、代行バスは出発した。僕は東名で降りて陸前小野まで歩く予定だ。仙石線の営業距離で見ると東名ー陸前小野間は4.8km。今回は道路を歩くのでそれよりは遠くなる。キョリ側で測ったりはしない。まぁいけるだろてなもんである。
バスから不通区間の線路が見える。線路はあっても列車は走らない。当然ながら信号という信号が消えている。こういうのを見ると「あぁ鉄路が繋がっていないんだ」と実感する。
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陸前大塚駅





東名に到着。ここでは僕以外にもう一人下車する人がいた。
県道27号線を野蒜方面に向けて歩く。歩き始めてすぐ右手に入ったところに踏切があるのを見つけた。近づいてみると「休止中」の文字が見えた。そりゃそうだよな。
DSC_0452.JPGそして次の瞬間 「あっ!!」 そこはまさしく東名駅であった。線路はすべてなくなっている。まるで廃線跡ような光景だがこれはすべて津波の影響だ。意外にも駅のすぐ横には住宅が建っている。残った家もあったんだな。



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再び県道へと戻り歩きはじめる。空からは雨が降り始めた。雪の心配はしてたけど雨は全くノーマークだった。天気予報すら見てなかった。
DSC_0459.JPG東名駅を見下ろすところまで来ると愕然とした。先ほど「残ったんだな」と思った家は1階部分が完全に破壊されていた。駅側からでは分からなかったけどやはり無事ではなかった。こういった光景を目の当たりにして改めて被害の大きさを実感した。この辺りでは1000人以上の方が亡くなったという。

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DSC_0468.JPGしばらく歩くと海側に大きく壊れた建物が目に入ってきた。1階部分が完全に壊れている。それ以外にも残った住宅も見た目に無傷というものはほとんどなく大体1階部分が破壊されその部分にブルーシートがかけられている。そして気になったのが目の先に見える大きな池だ。持参の地図を見ると手前に東名運河というものが流れておりそれは確認できる。しかしその向こう側には池のようなものは無く普通の陸地である。これも地震と津波の影響か?たくさんの水鳥が羽を休めているがその池自体は地図上には存在しない。そういや漫画・キクニの全県ランでここのとこの描写があったような気がする。地盤が沈んだか何かで入ってきた水が未だに抜けていないとかって書いていたような気がする。これがそうなのか??DSC_0467.JPG







DSC_0471.JPG元々の姿を見たことがないのでわからないのだけど今、目の前に広がる原野のような景色はもともと住宅地であったのだろうか。田んぼなんかもあったのだろうけど今はただの原野にしか見えない。ここでたくさんの人の生活があったのならばこの光景は非常に恐ろしい。


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運河を渡って対岸へ。橋の欄干は崩れている。





DSC_0475.JPG再び野蒜方面へと歩く。目に入る家の多くは何かしらの被害がありブルーシートで覆われているところがある。途中で国道から外れて運河の対岸を歩く。海側を眺めてみるとやはりこちらの方が被害が大きいようだ。ほとんど建物が建っていない。

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倒れ方から見てこちらは津波ではなく地震の揺れによるものか




強い雨ではないけど打たれ続けていたらとうとう体が濡れてきた。傘をさしていてもすべてをカバーできるわけではない。
DSC_0503.JPGしばらく歩き野蒜駅の前にかかる橋を渡り野蒜駅へ向かう。こちらの橋の欄干も壊れている。




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現行ルートでの復旧か・・・





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駅前の三叉路。未だに街灯が折れたままになっている。






  
DSC_0539.JPG野蒜駅。    「・・・・・」 なんと説明したらよいのか。「ひどい」の一言に尽きる。





DSC_0516.JPG架線柱は傾きビームは折れ曲がっている。架線は垂れ下がり流されてしまったのかバラストもない。もう滅茶苦茶だ。今でさえこれなのだからがれきを取り除く前はいったいどんな姿になっていたんだろう。この仙石線は僕の乗り潰しの旅でも最後の辺まで残っていた区間である。ここを乗り通した時のこの「野蒜」という駅名がその後もなんとなく頭に残っていた。その駅が今このような姿になっている。駅弁ひとり旅や全県ランで現在の姿を大体は知っていたけど実際に自分の目で見ると非常にショッキングな光景であった。しばらくすると自家用車でやってくる人やタクシーでやってくる人たちがいた。タクシーの方は被災地を周っていくやつだろう。仙台の方では語り部タクシーなるものがあるらしい。DSC_0523.JPG





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新ルートは内陸に移動する予定だ。もうこの線路を列車が走ることはないかもしれない。








野蒜駅をあとにし陸前小野を目指す。雨はますます強くなる。しばらく歩くと鳴瀬川とぶつかり左折。県道60号を北上する。
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河口は近い






右手には鳴瀬川(見えないけど)左手には田んぼが広がっている。ここから成瀬大橋までの区間は道路に大きな水たまりが所々にできている。そこを大型トラックがひっきりなしに通り豪快にまき散らす。たまらず僕は脇のあぜ道に退散する。仙石線の高架下でザックをおろし雨具を取り出す。結局ずぶ濡れだ。ダウンも濡れちゃって防寒着の役目を果たしていない。とりあえず上だけ着る。下はもういい。
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仙石線の旧線。新線はすぐ南側。







鳴瀬大橋を渡っていると一台の車が停まった。「乗っていきますか?」
いや~ありがたいなぁ。この雨の中をとぼとぼと歩く姿がよっぽど不憫だったに違いない。でも気持ちだけ頂いておく。ここまで来たら最後まで歩きぬきたい。「ありがとうございます」と丁重にお礼だけ言わせてもらった。
DSC_0582.JPGそして12:35分、陸前小野駅に到着した。
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1977/09/23
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さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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