忍者ブログ
2008年12月23日
[1162] [1161] [1160] [1159] [1158] [1157] [1156] [1155] [1154] [1153] [1152]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

9:42分、代行バスは出発した。僕は東名で降りて陸前小野まで歩く予定だ。仙石線の営業距離で見ると東名ー陸前小野間は4.8km。今回は道路を歩くのでそれよりは遠くなる。キョリ側で測ったりはしない。まぁいけるだろてなもんである。
バスから不通区間の線路が見える。線路はあっても列車は走らない。当然ながら信号という信号が消えている。こういうのを見ると「あぁ鉄路が繋がっていないんだ」と実感する。
DSCF0654.JPG

陸前大塚駅





東名に到着。ここでは僕以外にもう一人下車する人がいた。
県道27号線を野蒜方面に向けて歩く。歩き始めてすぐ右手に入ったところに踏切があるのを見つけた。近づいてみると「休止中」の文字が見えた。そりゃそうだよな。
DSC_0452.JPGそして次の瞬間 「あっ!!」 そこはまさしく東名駅であった。線路はすべてなくなっている。まるで廃線跡ような光景だがこれはすべて津波の影響だ。意外にも駅のすぐ横には住宅が建っている。残った家もあったんだな。



DSC_0442.JPG





DSC_0445.JPG





DSC_0447.JPG








再び県道へと戻り歩きはじめる。空からは雨が降り始めた。雪の心配はしてたけど雨は全くノーマークだった。天気予報すら見てなかった。
DSC_0459.JPG東名駅を見下ろすところまで来ると愕然とした。先ほど「残ったんだな」と思った家は1階部分が完全に破壊されていた。駅側からでは分からなかったけどやはり無事ではなかった。こういった光景を目の当たりにして改めて被害の大きさを実感した。この辺りでは1000人以上の方が亡くなったという。

DSC_0458.JPG







DSC_0468.JPGしばらく歩くと海側に大きく壊れた建物が目に入ってきた。1階部分が完全に壊れている。それ以外にも残った住宅も見た目に無傷というものはほとんどなく大体1階部分が破壊されその部分にブルーシートがかけられている。そして気になったのが目の先に見える大きな池だ。持参の地図を見ると手前に東名運河というものが流れておりそれは確認できる。しかしその向こう側には池のようなものは無く普通の陸地である。これも地震と津波の影響か?たくさんの水鳥が羽を休めているがその池自体は地図上には存在しない。そういや漫画・キクニの全県ランでここのとこの描写があったような気がする。地盤が沈んだか何かで入ってきた水が未だに抜けていないとかって書いていたような気がする。これがそうなのか??DSC_0467.JPG







DSC_0471.JPG元々の姿を見たことがないのでわからないのだけど今、目の前に広がる原野のような景色はもともと住宅地であったのだろうか。田んぼなんかもあったのだろうけど今はただの原野にしか見えない。ここでたくさんの人の生活があったのならばこの光景は非常に恐ろしい。


354fa207.jpeg
運河を渡って対岸へ。橋の欄干は崩れている。





DSC_0475.JPG再び野蒜方面へと歩く。目に入る家の多くは何かしらの被害がありブルーシートで覆われているところがある。途中で国道から外れて運河の対岸を歩く。海側を眺めてみるとやはりこちらの方が被害が大きいようだ。ほとんど建物が建っていない。

DSC_0483.JPG





DSC_0494.JPG

倒れ方から見てこちらは津波ではなく地震の揺れによるものか




強い雨ではないけど打たれ続けていたらとうとう体が濡れてきた。傘をさしていてもすべてをカバーできるわけではない。
DSC_0503.JPGしばらく歩き野蒜駅の前にかかる橋を渡り野蒜駅へ向かう。こちらの橋の欄干も壊れている。




DSC_0504.JPG
現行ルートでの復旧か・・・





DSC_0508.JPG
駅前の三叉路。未だに街灯が折れたままになっている。






  
DSC_0539.JPG野蒜駅。    「・・・・・」 なんと説明したらよいのか。「ひどい」の一言に尽きる。





DSC_0516.JPG架線柱は傾きビームは折れ曲がっている。架線は垂れ下がり流されてしまったのかバラストもない。もう滅茶苦茶だ。今でさえこれなのだからがれきを取り除く前はいったいどんな姿になっていたんだろう。この仙石線は僕の乗り潰しの旅でも最後の辺まで残っていた区間である。ここを乗り通した時のこの「野蒜」という駅名がその後もなんとなく頭に残っていた。その駅が今このような姿になっている。駅弁ひとり旅や全県ランで現在の姿を大体は知っていたけど実際に自分の目で見ると非常にショッキングな光景であった。しばらくすると自家用車でやってくる人やタクシーでやってくる人たちがいた。タクシーの方は被災地を周っていくやつだろう。仙台の方では語り部タクシーなるものがあるらしい。DSC_0523.JPG





DSC_0546.JPG





DSC_0555.JPG







DSC_0573.JPG

新ルートは内陸に移動する予定だ。もうこの線路を列車が走ることはないかもしれない。








野蒜駅をあとにし陸前小野を目指す。雨はますます強くなる。しばらく歩くと鳴瀬川とぶつかり左折。県道60号を北上する。
DSC_0576.JPG
河口は近い






右手には鳴瀬川(見えないけど)左手には田んぼが広がっている。ここから成瀬大橋までの区間は道路に大きな水たまりが所々にできている。そこを大型トラックがひっきりなしに通り豪快にまき散らす。たまらず僕は脇のあぜ道に退散する。仙石線の高架下でザックをおろし雨具を取り出す。結局ずぶ濡れだ。ダウンも濡れちゃって防寒着の役目を果たしていない。とりあえず上だけ着る。下はもういい。
DSC_0578.JPG
仙石線の旧線。新線はすぐ南側。







鳴瀬大橋を渡っていると一台の車が停まった。「乗っていきますか?」
いや~ありがたいなぁ。この雨の中をとぼとぼと歩く姿がよっぽど不憫だったに違いない。でも気持ちだけ頂いておく。ここまで来たら最後まで歩きぬきたい。「ありがとうございます」と丁重にお礼だけ言わせてもらった。
DSC_0582.JPGそして12:35分、陸前小野駅に到着した。
PR
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
としぷー
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1977/09/23
職業:
さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
カウンター
忍者アナライズ
忍者ブログ [PR]
○photo by hanamaru.○