2008年12月23日
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風呂から上がり一息つく。ロビーでビール片手に一人お疲れ会。
新聞を読むと昨日は札幌から旭川に向かう特急が雪で立ち往生して札幌に引き返したとのこと。その他の特急も滝川で先へ進めなくなって代行バスで対応したとか書いてある。朝、滝川で見たバスはこれだったんかな?
ところで40分遅れで出港したこの船。舞鶴から難波行きのバスの件でフロントで聞いてみたらこのバスというのが普通の路線バスらしい。少々船が遅れても待っていてくれるのかと思いきや路線バスのため他のバス停からの乗客がある都合で、それほど待つことができずある程度の遅れがあった時点で見切り発車するらしい。以前はこの船専用の新大阪行きの連絡バスだったから時間に縛られずに安心してたんだが…。これの運行をやめて難波行きの路線バスを使い始めたってことだな。ちなみに三年前に乗ったときには舞鶴への入港が遅れた結果、バスが新大阪に到着したのは午前一時過ぎだった。てことで大幅に遅れた場合は舞鶴についてもバスは待っていない可能性もある。そうなればターミナルで朝まで待機だな。いい感じに酔いが回って寝台に戻ったのは2時過ぎだった。
翌朝は9時40分に起床。10時半からビンゴ大会をするというので何かいいものがもらえるかもしれないと思っていってみた。そこそこ人も集まってたと思うんだけど司会の人(フェリー会社の人)が「今日は人が集まらなかったのでビンゴ大会は中止します」と言うではないか。「え?どういうこと???」と戸惑っていると「これくらいの人しかいないとなかなかビンゴにならなくて白けちゃうんですよ~。なのでビンゴは中止してじゃんけん大会にします」との事であった。ちなみに前日は会場内がいっぱいになるほど人で盛り上がったらしい。ちなみに到着が大いに遅れた昨日の状況についても話が聞けた。昨日は舞鶴出港時でも船が揺れるということでお風呂が中止。航行中もえらく揺れたらしい。しかし今日は全然揺れない。司会の方も「この時期としては本当に珍しい。昨日と全然違う」と言っていた。それは僕も思う。過去2回、冬のこのフェリーを利用したけどこんなに揺れないのは初めてだ。通常ならふわっと浮き上がるような感覚があってその後どどーんと落ちるんだけど今日は全く穏やかなもんだ。ちなみにこの時点で出港時の遅れは回復していた。ところでじゃんけん大会の方は商品がなくなるまで負け続け、最終的には残念賞の絵葉書をもらってお開きとなった。
外の天候はまずまず。
まぁこんな感じで。
山形沖です。
その後は16時40分まで寝る。起きるとゲームコーナーへ。大学生の頃近くのゲーセンでやってたサイドバイサイドというカーレースのそして飯を食ゲームを発見。懐かしかったので3回ほどやってみた。その後飯を食い17時30分から風呂へ。その後再び寝る。そして20時20分に起きて下船の準備。20時40分過ぎに車の下船準備が始まり20時50分に接岸。これなら難波から家まで帰れそうだ。
舞鶴到着。
下船し難波行きのバスに乗り込む。3列シートなのはいいとしてえらくヤニ臭い。まぁ難波までの辛抱だ。バスの乗客は全部で6人。フェリーの中はあんなにたくさんの人がいたのに。みんな車なんだなぁ。
バスは難波に向けて出発。舞鶴も若干雪が積もっている。東舞鶴で2人、西舞鶴で5人の乗客を乗せ高速に乗ったのが22時。その後はうつらうつらしながら乗っていたんだが運転手氏のアグレッシブな走りは寝ぼけ眼でも感じることができた。そして難波のocatに到着したのは23時21分。運転手氏、グッジョブ!!これなら余裕で帰れるぞ。
御堂筋線に乗り梅田へ。まだ0時にもなっていない。ここでついつい余裕をかましてラーメンを食べて帰ることにした。向かったのはいくときにも訪れた阪急の駅横の「げんこつ」。性懲りもなくまたまたやってきてしまった。
深夜だというのにラーメンをペロッと平らげ阪急電車に乗り込む。雲雀丘花屋敷の駅には0時40分過ぎに到着。ほんとに終わってしまったな。長い長い8日間の旅であった。 おしまい
この列車がこの旅最後の列車になる。
自分にお疲れさん。今年もいい旅ができた。
新聞を読むと昨日は札幌から旭川に向かう特急が雪で立ち往生して札幌に引き返したとのこと。その他の特急も滝川で先へ進めなくなって代行バスで対応したとか書いてある。朝、滝川で見たバスはこれだったんかな?
ところで40分遅れで出港したこの船。舞鶴から難波行きのバスの件でフロントで聞いてみたらこのバスというのが普通の路線バスらしい。少々船が遅れても待っていてくれるのかと思いきや路線バスのため他のバス停からの乗客がある都合で、それほど待つことができずある程度の遅れがあった時点で見切り発車するらしい。以前はこの船専用の新大阪行きの連絡バスだったから時間に縛られずに安心してたんだが…。これの運行をやめて難波行きの路線バスを使い始めたってことだな。ちなみに三年前に乗ったときには舞鶴への入港が遅れた結果、バスが新大阪に到着したのは午前一時過ぎだった。てことで大幅に遅れた場合は舞鶴についてもバスは待っていない可能性もある。そうなればターミナルで朝まで待機だな。いい感じに酔いが回って寝台に戻ったのは2時過ぎだった。
翌朝は9時40分に起床。10時半からビンゴ大会をするというので何かいいものがもらえるかもしれないと思っていってみた。そこそこ人も集まってたと思うんだけど司会の人(フェリー会社の人)が「今日は人が集まらなかったのでビンゴ大会は中止します」と言うではないか。「え?どういうこと???」と戸惑っていると「これくらいの人しかいないとなかなかビンゴにならなくて白けちゃうんですよ~。なのでビンゴは中止してじゃんけん大会にします」との事であった。ちなみに前日は会場内がいっぱいになるほど人で盛り上がったらしい。ちなみに到着が大いに遅れた昨日の状況についても話が聞けた。昨日は舞鶴出港時でも船が揺れるということでお風呂が中止。航行中もえらく揺れたらしい。しかし今日は全然揺れない。司会の方も「この時期としては本当に珍しい。昨日と全然違う」と言っていた。それは僕も思う。過去2回、冬のこのフェリーを利用したけどこんなに揺れないのは初めてだ。通常ならふわっと浮き上がるような感覚があってその後どどーんと落ちるんだけど今日は全く穏やかなもんだ。ちなみにこの時点で出港時の遅れは回復していた。ところでじゃんけん大会の方は商品がなくなるまで負け続け、最終的には残念賞の絵葉書をもらってお開きとなった。
外の天候はまずまず。
まぁこんな感じで。
山形沖です。
その後は16時40分まで寝る。起きるとゲームコーナーへ。大学生の頃近くのゲーセンでやってたサイドバイサイドというカーレースのそして飯を食ゲームを発見。懐かしかったので3回ほどやってみた。その後飯を食い17時30分から風呂へ。その後再び寝る。そして20時20分に起きて下船の準備。20時40分過ぎに車の下船準備が始まり20時50分に接岸。これなら難波から家まで帰れそうだ。
舞鶴到着。
下船し難波行きのバスに乗り込む。3列シートなのはいいとしてえらくヤニ臭い。まぁ難波までの辛抱だ。バスの乗客は全部で6人。フェリーの中はあんなにたくさんの人がいたのに。みんな車なんだなぁ。
バスは難波に向けて出発。舞鶴も若干雪が積もっている。東舞鶴で2人、西舞鶴で5人の乗客を乗せ高速に乗ったのが22時。その後はうつらうつらしながら乗っていたんだが運転手氏のアグレッシブな走りは寝ぼけ眼でも感じることができた。そして難波のocatに到着したのは23時21分。運転手氏、グッジョブ!!これなら余裕で帰れるぞ。
御堂筋線に乗り梅田へ。まだ0時にもなっていない。ここでついつい余裕をかましてラーメンを食べて帰ることにした。向かったのはいくときにも訪れた阪急の駅横の「げんこつ」。性懲りもなくまたまたやってきてしまった。
深夜だというのにラーメンをペロッと平らげ阪急電車に乗り込む。雲雀丘花屋敷の駅には0時40分過ぎに到着。ほんとに終わってしまったな。長い長い8日間の旅であった。 おしまい
この列車がこの旅最後の列車になる。
自分にお疲れさん。今年もいい旅ができた。
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プロフィール
HN:
としぷー
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1977/09/23
職業:
さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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