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2008年12月23日
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りんどう号に乗り込むと行きのりんどう号と同じ運転手氏だった。自然と那須塩原からどうするのかという話になる。先客の老夫婦はタクシーで宇都宮まで向かうという。「一緒にどうですか?」と言われたけど返答に困ってしまった。タクシーでバスよりも早く宇都宮に着けば今日中に家に帰れる可能性が高くなる。そうすれば次の日会社を休まなくても済む。しかし如何せんこの状況だ。普通に走れる状況ならいいけど道が激混みしてるか可能性もある。そうなれば通常2万で行ける場所だっていくらかかるか分かったもんじゃない。それならバスで行った方がお財布的には安心だ。そんな話をしていたら運転手氏が「よかったらうちの息子に宇都宮まで運ばせましょうか??」と言ってきた。おぉ~こいつはありがたい。二つ返事で「お願いします!!」とお答えした。
バスにはこの老夫婦と僕しか乗っていなかったけど途中で2人のご夫婦が乗ってきた。このご夫婦も那須塩原からの足がなかったらしく宇都宮まで同乗することになった。
バスは那須塩原に到着。どこに運転手氏の息子がいるのか分からなかったけど「人相は悪いですが気持ちはいい子ですので」なんて言っている。いや~乗せてもらうのにそんなこと・・・なんて言いながらバスを降りると息子が立っていた。   「・・・・・・」。そこには湘南の風の若旦那風の兄ちゃんが立ってきた。 なるほど、と少し納得してしまった。しかしこの子もちゃんと敬語で話すしいろいろ気を使ってくれる子だったので安心した。この子の隣には茶髪&ヒゲの兄ちゃんもいて連れなのかと思ったら若旦那の弟だった。
僕らを乗せたWISHは宇都宮に向けて出発した。国道4号は随所で渋滞している。しかし交通集中のための渋滞ではなくガソリンスタンドに入りきれない車による渋滞だった。ガソリンスタンドが近づくと渋滞している。そんなこんなで若旦那は極力国道4号線を避け右へ左へと進んでいく。車で走っていると地震の影響がいたるところで見てとれる。ひび割れた道路、落ちた瓦、倒れた塀。こんな景色がいたるところで広がっている。極めつけは東北新幹線の高架の上で起きていた。駅でもなんでもない場所で新幹線が停まっている。電気は消え車内は真っ暗だ。人の気配も全くない。不気味な事この上なかった。
13時過ぎ、宇都宮に到着。ホントに助かった。ここから電車で東京に向かった。15両編成の車内はがらがらで途中の駅からもほとんど人は乗ってこない。地震でみんな出歩いていないのか関東とは思えない閑散とした景観が上野まで続いた。東京から新幹線に乗った。久々の新幹線だ。しかし今回は予想外の事態ばっかりだ。宿には余分に一泊したし新幹線には乗らねばならんし。余分な金がかかって仕方がないけどケガなく無事に家に帰れたんだから文句は言うまい。この地震で人生が無茶苦茶になった人たちが何万人といるんだから。
大阪に到着。新三田行きの電車に乗り継ぐ。ここは街も人も平常運転だ。東日本と西日本の温度差を感じた瞬間だった。  終わり
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翌日60キロを歩かなくてはならないので早めに床に着く。とはいえ地震関連の情報が気になるので昨日同様にテレビはつけたままにする。この時点で地震の津波だけでなく福島の原発もヤバくなってきていた。原発の建物が吹っ飛ぶ映像を見た時には唖然とした。テレビで福島ー伊丹間に臨時の飛行機が出ていることは知っていたけどこれは福島方面ではなくやはり東京方面に向かう方がよさそうだ。そもそも飛行機に乗る金なんて持ってないけど。
翌朝、レストランに向かうと僕に山に行くのはやめた方がいいと言ったフロント氏がいた。那須塩原の駅から宇都宮まで歩くと言うとびっくりしていた。
朝食をすませ一度部屋に戻り次にお風呂へと向かった。今風呂に入らないと今日風呂に入れるか分からないからだ。風呂につかっているとふとある考えが頭をよぎった。JRと高速バスはすべて運休だ。しかし路線バスはどうなんだろう。那須から路線バスを乗り継いでなんとか宇都宮まで出れないものか。
部屋に戻りそうそうに身支度をしチェックアウトを済ませる。そして宿のPCで東野交通のHPをひらいた。これまでも思ってたけどここのHPは分かりにくい。9:45分発のりんどう号の時間も迫ってくる。まどろっこしいので東野交通の営業所に直接電話を入れた。すると那須塩原駅の一つ隣の西那須駅からバスを乗り継ぐと宇都宮まで出れることが判明した。13:25分の小川行きのバスで14:10分発の小川仲町で降りる。そこで待ってると15:44分に宇都宮駅行きのバスがやってくるのでこれに乗れば17時過ぎには宇都宮の駅に着くことができる。しかしこの地震で道路状況は不透明だ。15:44分のバスに乗り遅れれば次のバスはもう無い。それでもこの策でいこうと決めた。那須塩原から宇都宮までの60キロを歩くのに休憩時間も含めて13時間くらいかかると予想していた。りんどう号が那須塩原の駅に着くのは11:15分。これだと宇都宮に着くのは深夜0時過ぎだ。無理だとは思わないけどこれはもう最終手段だ。無理に宇都宮まで行かなくても宿はあるだろうがこの状況だ。営業しているかどうかは疑わしい。ツェルトとシュラフカバーを持ってるからビバークすることはできる。だけどこれだって最終手段だ。好き好んでビバークなんかしたくはない。バスで行こうと決めて何だか少しホッとした。
部屋に戻り考える。  「いつ麓に下りるか・・・」
15:50分に那須塩原に向かうりんどう号がある。本当ならば山から下りてきてひとっぷろ浴びた後に僕が乗る予定だった便だ。これに乗るかどうか。  しかしやめた。やみくもに動くよりもここは一晩ここにとどまり明日に向けて体勢を整えた方が賢明だと判断した。そして荷物を選別する。不要なものはここから宅配便で送り、背中の荷物の軽量化を図った。水、食料、ヘッドライト、ツェルト等を残し余分な着替え等をは宅配便で送った。登山の装備は災害時に必要なものは大概カバーしている。この点については助かった。
朝一番のりんどう号は明日の朝9:45分に出発し11時15分に那須塩原の駅に到着する。24時には宇都宮に着くだろう。ちなみにJRの宇都宮線は上野ー宇都宮間で列車の運行が再開された。
風呂に入りレストランに向かう。今夜も充実した夕食だ。テレビで被災地の映像を見続けた故にこの恵まれている自分の状況に罪悪感を感じる。
レストランで周りを見渡す。今日は地震の影響で大量のキャンセルが出たにもかかわらずそれでもここには人がいる。よくよく考えるとアホみたいに宇都宮まで歩かなくてもここに泊まってる人の車に同乗させてくれと頼めばいいんじゃないかと思った。しかしそれをお願いするだけの勇気が出ずに結局そのまま部屋に戻った。
今度はフロントで大型の時刻表を借りた。那須塩原までは昨日乗ってきたりんどう号で下りる事が出来る。問題はそのあとだ。東北本線のページで那須塩原ー宇都宮間の距離を調べると約50キロ。なんだ、思ったより近いじゃないか。これなら自転車を手に入れれば余裕で帰れるぞ。こんなこと大手を振ってはできんが麓で自転車を買って宇都宮で乗り捨てよう。もしくはその辺を歩いている人にプレゼントしよう。そして那須塩原、黒磯、西那須辺りのホームセンターに片っ端から電話した。   「自転車売ってください」
しかし僕のもくろみはすべて全て外れた。電話をかけると店員が電話に出る。在庫の確認をすると在庫もある。しかし「買います」と言うと「売れません」と言われる。
僕の考えの及ばなかったことが麓の町で起きていた。麓のお店では地震影響で商品が床に散乱しておりその片付けでお店が営業できるような状況ではなかったのだ。ただしこちらも緊急事態なので事情を話しなんとか個別に対応してもらえないかとお願いした。  「ものに少々キズがいっていようがへこんでいようが一向にかまいません。どうか自転車を売ってください」
しかし全てのお店から「安全にかかわる問題なので売れません」という答えが返ってきた。「自己責任でやります。なんなら一筆書きますから」と粘ったものの結局売ってもらうことはできなかった。
そして覚悟を決めた。  「歩くか・・・」
50キロ・・・。自転車なら余裕だけど歩くとなるとなかなか骨のある距離だ。50キロといいつつこれは鉄道での距離だから国道だと根拠はないけど60キロくらいになるか。六甲山全山縦走大会では山道を56キロ歩く。だから60キロの町歩きならできんこともないだろうが楽な距離ではない。とりあえずフルマラソンの距離よりも長い・・・。
早速会社の人に電話する。しかし公衆電話からかけているせいかなかなかみんな捕まらない。やっと電話に出てくれたのは隣の部署の課長だった。僕のこの状況を説明し「月曜日、会社行けないかもしれません。もしかしたら火曜日も・・・」と話すと「とりあえず仕事のことはいいからとにかく無事に帰ってこい。」との言葉を頂いた。阪神大震災を経験しているからかいちいち説明しなくてもこちらの状況を分かってくれる。とりあえず方向性が決まったので準備に向けて部屋に戻った。
大丸まで下りてきた。ここの土産物屋でコレクションしている登山バッチを買い求める。今回は登頂してないけどとりあえず買う。このパターンの山は3つある。木曽駒に登った時に買った空木岳と八ヶ岳の赤岳に登った時に買った阿弥陀岳、後は積雪期に2度チャレンジし結局未だ登頂していない富士山だ。ちなみに以前には立山に登った時に買った剣岳と槍ヶ岳に登った時に買った蝶ヶ岳があったけどすでにこれらは片付けた。
お店のおばさんと少し話をした。昨日は誰も山に入っておらず今日も僕以外は入っていないとの事。それと10日ほど前、三本槍に向かった単独の人が行方不明になってまだ出てきていないらしい。その日も今日と同じくらい天気が良かったそうだ。那須岳だって遭難するときは遭難する。山は決してなめてはいけない。
06dc2936.jpeg店を出て宿まで下る。途中で上空をヘリが通過していった。赤い色をした民間ヘリじゃなさげなヘリ。防災ヘリか??
宿に戻り自分の部屋へ向かう。時刻は12時過ぎ。着替えを済ませテレビをつける。時間が経つたびにどんどんひどい映像が入ってくる。昨日の今頃は日光で観光をしていた。たった1日で日本がこんなことになるなんて信じられなかった。
13時過ぎ。そろそろ明日の計画を考える。今夜の名古屋行きの高速バスはあきらめたので明日は一日かけて東北線、東海道線で家に帰ろうと思っていた。しかし僕は自分のおかれている状況に全く気付いていなかった。そろそろ動いているだろうと思っていたJRは全く動いていなかった。
なぜか部屋ではケータイが繋がらないのでフロントに下り、使い放題になった公衆電話で那須塩原の駅に電話する。「いつごろ電車動きそうですか?」 
駅員氏「線路や駅舎が損傷しているので復旧のめどは全くたっておりません。明日??この状況なので明日、明後日の話にはならないと思います」  全く間抜けな質問だった。駅員氏の言葉で今の状況をやっと把握する。自分が今いる場所が余震でぐらぐら揺れること以外に震災いの影響を全く受けていないのでまさか麓の那須塩原までえらいことになってるとは全く思っていなかった。フロントでJR以外で東京に行くルートを聞くと西那須駅から東京に向けて高速バスが出ていると教えてくれた。早速バス会社に電話する。すると「東京方面のバスはすべて運休です。」との答えが返ってきた。東北自動車道も通行止めになっているらしい。これはまずい。再びフロントでレンタカー会社に電話してもらった。4社ほど確認してもらったが全て貸し出し不可。この状況なので一気に人々が殺到していていつ貸せる状況になるのか全く分からないという答えだった。これは暢気に山なんか登っている状況ではなかった。フロントでタクシーで東京に向かうとどれくらいかかるか聞くとタクシーの料金表みたいなのを見せてくれた。すると羽田空港まで5万円・・・払えるかそんな金!!!先ほど那須塩原の駅に電話した時「ひょっとしたら夕方から宇都宮ー上野間で運行が再開されるかもしれない」と言っていたので宇都宮までの料金も見てみると2万円。どっちにしろこんな金払えん。この状況なので宇都宮に向かう国道4号は渋滞していると思われる。そうなると2万じゃ収まらんだろう。乗る気はさらさらないがもし乗らざるを得ないことになったなら乗る前に運転手氏といくらで行ってくれみたいな話をつけとかないとえらいことになりそうだ。
新幹線、在来線、高速バス、レンタカー、全てが封じられている。これはなかなか厳しいことになってきた。
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1977/09/23
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さらりーまん
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登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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