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2008年12月23日
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レストランで朝食をとる。本来なら6時半には登り始めようと思っていたのであきらめていた朝食だ。夕食に負けず劣らず朝食も充実している。費用対効果という点で考えると休暇村那須に泊まって大満足だ。
部屋に戻る。窓の外は早朝の吹雪から一転、太陽も出てきて空も青い。余震は続いているもののせっかくここまで来て部屋の中に引きこもっているのも何なので外に出てみようと思った。そう考えるとどんどん考えが飛躍していった。結局登山口の大丸から少し登った峠の茶屋までとりあえず上がってみようと思った。急いで身支度をする。峠の茶屋までとはいえ一応雪山なので冬山フル装備で部屋を出た。この格好で何食わぬ顔をしてフロントをスルーするわけにもいかないので一応「この辺で写真をとってきます」と言い残し宿をあとにした。
外に出ると天気は快晴だ。雪山にかぎらず山に登るときには雨、台風、吹雪など天候に恵まれなさすぎる登山人生だったので「なんでこんな時に・・・」と青空をうらめしく思いながら歩く。
とはいえ僕は思っていた。「峠の茶屋と言わず行けるとこまで行ってやろう。なんなら茶臼岳を登頂してやろう」と。
嫁にも親にも宿の人にも「登りません」と言いながら頭の中は完全に上を目指していた。ここはもともと風の強い山で上まで登ると積雪は少ないと思われる。岩場や鎖場などの危険個所も無く地形図を見る限りでは雪崩そうなところもなさそうに見える。
大丸に着きトイレの横から登り始める。トレースをたどり車道に出た。本来ならば車道を横断しそのまま林の中を登っていくのだがトレースはついていない。一人だし無駄にラッセルして体力を消耗することもないだろうと遠回りだけど車道を歩くことにした。ロープウェイの山麓駅に到着。しかしここから先には除雪もされておらず全くトレースもついていない。「んんん???」
大丸には車も停まっていたし天気もいいので地震があったとはいえ一人くらいは山に入っていると思った。しかしこの状況を見る限り確実に誰も山に入っていない。今朝まで吹雪いていたとはいえこの状況から見ると2,3日誰も入っていないのではないかと思われた。一気に不安が頭をよぎる。姿は見えなくとも他に登っている人がいるのが分かっていれば安心だ。しかし僕以外にこの山域に足を踏み入れている人間が誰もいないという事実は一気に僕の緊張感を高めた。宿には写真を撮りに行くと伝えている。写真を撮りに行くと言って出掛けた33歳の男性が行方不明・・・ありがちな遭難パターンだ。山には登らないといいながらしっかり登ちゃってるし・・・。これで遭難でもかましたら各方面から非難轟々だ。
嫁にも「絶対登るな」と言われながら約束を破って登ってるし。これで遭難騒ぎでも起こそうもんなら元々薄い信頼関係が一気に崩れて離婚の危機だ。
そこで僕が下した結論。「注意して登ろう」   完全に頭がどうかしている。頭では下りるべきだと分かっている。でもそれ以上に色んな感情が勝って足を先へと進ませる。2か月前から計画してきた。会社も休んだ。お金も時間もかけてここまでやってきた。そして何よりこの快晴だ。このチャンスを逃したら次はもう無いかもしれない。そんな思いが僕を先へと進ませる。
ここから一人ラッセルが始まった。太ももまでの新雪のラッセル。雪山を登ってるんだなぁという実感がわいてb3d126fe.jpegくる。後ろを振り返る。誰も追ってこない。ただただ僕の付けたトレースが続いているだけだ。
ラッセルを続けて峠の茶屋に到着。快晴の空のもと、朝日岳が大きくそびえる。ここにいるのは僕一人だけだ。他には誰もいない。ここから先は本格的な雪山登山になる。予想以上に積雪もありずいぶんと体が雪に沈む。全然雪が締まっていない。ワカンを持ってくればよかったと思った。
そして僕はここで引き返すことにした。宿の人や嫁のことを考えるととても悪いことをしているような気がして正直気が重かった。GPSを持っているから道迷いは無いと思う。しかしこの状況で何か起こした時のリスクを天秤にかけるとここらが潮時かなと。ここまでは困難も無くいつも通りの山登りだった。時々地面がぐらぐら揺れること以外は。
7037a137.jpegすぐに下りるのはもったいないのでしばらくその場でのんびりした。30分くらいか。こんなに空は青くて山はきれいなのに下界では地震でとんでもないことになっている。なんだか嘘みたいだ。
次に来る時はこんなにいい天気に当たらないと思う。今回は状況が悪すぎる。気持ちを切り替えて大丸へと下りて行った。
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朝6時。予報では晴れるようなことをいってはいたけど外は吹雪いている。ケータイがほぼ繋がらないのでロビーに下りた。公衆電話が無料で使えるようになっていたので使わせてもらった。まずは嫁。昨日地震の直後にメールして以来だ。まず僕の無事と今いる環境を説明した。珍しく本気で心配している。山に登るかどうか考えていると話すと本気で怒られた。とにかく早く無事に帰って来いと言われたので山は登らないと言って電話を切った。次に親にも電話して同じような話をした。当初の予定では朝から茶臼岳に登りその日のうちに下山後、那須塩原まで下りて電車で横浜に向かい中学からの友人ワダと飲んでそのあと夜行バスで名古屋へ。翌朝は名古屋から関西線から紀勢線に乗り継ぎ夜遅くに川西に戻る予定だった。しかしこんなことになったのでこの予定はすべてキャンセル。この状況なので下手に麓におりるよりもここにとどまった方が賢明だと判断し早々にもう一泊する手続きをとった。フロントには昨日山に登るのはやめた方がいいと言っていた人で僕が「山登るのやめますわ」というと「その方がいいと思います」との答えが返ってきた。
部屋に戻りテレビを見る。一夜あけると昨夜映像の入ってこなかった地域の様子が映されていた。この世の終わりのような景色が広がっている。もう無茶苦茶だ。
気が滅入ってきたので朝食に出かけた。
とりあえず食事。しかしここの食事にはとても感心した。バイキング形式なんだけどその場で焼いてくれるステーキはあるわ刺身はあるわ栃木だけに焼きたての宇都宮ギョウザ等など美味しいものがたくさんある。いつもは一泊素泊まり4000円くらいの宿にしか泊まらない僕にとって2食付きとはいえここの宿泊費1泊8900円は当初高すぎるように感じた。しかしこの食事を見て温泉宿でこのグレードの食事がつくならこの金額は悪くはないと思った。食事の最後は地元のイチゴ「とちおとめ」とアイスクリームで締めくくった。お腹は満たされたけどこの日のメニューの一つ、気仙沼産のさんまの開きを見ると罪悪感も感じた。
部屋に戻り再びテレビをつける。これまで被害の情報が入ってきていなかったエリアについても少しづつ未確認ながらも情報が入ってきていた。町全体が壊滅しているところなども多数あった。その中で衝撃的だったのが仙台の若林というところで遺体が200~300発見されたいうもの。ショックで絶句した。今回の震災の被災地は2年前と1年前にJRの乗り潰しで旅したエリアだ。仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、釜石線、山田線、三陸鉄道、八戸線・・・楽しく車窓の風景を眺め、いい思い出のある沿線の町がこんなひどいことになって気持ちが沈む。三陸鉄道の田老のあたりでみた防潮堤。ちょっと異様な景観に「あれはなんだ?」と家に帰って調べてみた。そしてそれは津波被害を防ぐために造られたものだと知ってリアルに津波の怖さを感じた。あの田老の町は大丈夫だったのだろうかと気になった。
その日の夜はテレビをつけたままベットで横になった。次々と情報が入ってきたり真夜中に枝野さんの記者会見があったりとにかく非日常的な夜だった。寝たのか寝てないのかよくわからないまま夜は明けていった。

DSCF6736.JPGテレビに映し出されるただただ凄まじい惨状に絶句する。しばらくテレビの画面にくぎ付けとなったが一度外に出た。いろいろ思うところもあり気持ちの整理が出来ない。とりあえず登山口の大丸まで歩いてみる。歩きながら考える。「下界がこんなことになってるのに山になんか登ってる場合ではないんじゃないのか??]  そう考える一方で「わざわざ時間と金をかけてここまで来たんじゃないか。2か月前から計画してここまで来て登らないなんて。今回登らなかったら次に登るチャンスはあるのか??」
自分の中でこんな時に登山をすることが不謹慎ではないかという思いと、ここまで来て登らずに帰ることが率直に受け入れられない思いとが交錯する。風はあるけど日は出ている。明日の天候は晴れだ。
大丸の登山口まで往復し宿に戻る。気が引ける部分は大いにあるがここまで来た以上はやはり登ろうという思った。再びテレビをつけるが東北、関東共にとんでもないことになっている。関東、仙台、相馬、八戸の映像は入ってくるがその他のエリアの映像は入ってきていない。ただとんでもなくひどい状態だとの話は入ってくる。映像で見ると八戸もひどいが相馬の映像には何がどうなってこんなことになったのか全く僕の理解を越えている。元はどうだったのか、どこまでが海でどこまでが陸なのか。ほんの1時間半前まではいつもと変わらない日常がそこにはあったはずなのに。
気持ちが沈み精神的にちょっと滅入ってきたので現実から目をそむけ2日ぶりの風呂へと向かった。その後レストランへと向かう。レストランで僕を案内してくれたのはチェックインの受付をしてくれた人だった。その彼は「ほんとに明日山に登るんですか?」と聞いてきた。彼はチェックインの時にも「こんな状況ですから山はお勧めできないですねぇ」と言っていた。
「余震も続いてますし、私には何か悪いイメージしか浮かんできません・・・。」  彼のこの言葉を直訳すると「山には登るな」ということになるのだろう。彼の言うことはもっともだし自分でもそのことには気づいている。しかしそのことを素直に受け入れられない自分がいる事も確かだ。「一応登る気ではいます。兵庫からきてますし次来れるかどうかは分からないので・・・」と答えた。   
「山は逃げない」という言葉がある。冷静な時にこの言葉を聞けば「また次のチャンスを待とう」ということになるのだけど実際に自分が登る・登らないの選択を迫られた時には「それでもなんとか登りたい」という気持ちに苛まれる。こんな時に強行すると遭難したりするんだろうな。これまで実際に登り始めて引き返したことは何度となくある。11月と4月の大荒れの富士山、立山から薬師への縦走の途中に大雨の中たどり着いた五色ヶ原、登山を始めた頃に装備も経験もまったく足りていない状況での3月の石鎚山など。ただこれらの場合は悪天候などで現実問題として「これ以上は無理」というところまできての撤退だった。天候自体は問題ない状況での撤退はなんともやりきれない。ただ明日の朝まではまだ時間がある。とりあえず結論は先延ばしにして食事をとることにした。

a6340de3.jpegバスの発車時刻まで20分ほど時間がある。自分の席を確保してから再び車外へ。駅には「生乳生産額本州一」の垂れ幕がかかっている。これは牛乳大好き人間として飲まないわけにはいかない。駅の2階の地元の特産品を売ってるお店でビンの牛乳を購入。うまい!
再びバスに戻り出発を待つ。初めは僕を含め3人しか乗ってなかったけど出発間際にちょいちょい乗ってきて最終的には10人ほどになった。
定刻の14:45分、大丸温泉に向け出発。今日は登山口のまわりを偵察して明日のためにゆっくり休もう、そう思っていた時だった。   「ん???」
なんか空き地に停まってる車が激しく上下に揺れている。「なんじゃありゃ??」と思った瞬間、僕の乗ってるバスもぐらぐら揺れ始めた。バスが急停車し運転手氏が「地震です!!!」と叫ぶ。路肩に変な形で停車する。まわりの車もすべて停まっている。バスは停まっても揺れは収まらない。地面から突き上げるような衝撃が伝わってくる。乗ってる僕もシートから飛び上がりそうになるほどの激しい縦揺れだ。しかも揺れはなかなか収まらない。1分以上は続いたと思う。バスの中にも悲鳴が上がる。
ようやく揺れも収まり再びバスは走りだす。その後ろからパトカーがサイレンを鳴らしながら追い越して行った。
窓の外を眺めているとみんな建物から外へ出てきている。家の中にいるといろんなものが倒れてきたりするから怖いんだろうな。
僕はある意味ほっとしていた。以前、18きっぷで開聞岳を目指しているときのことだった。ムーンライトで博多入りし、乗り残していた福岡市営地下鉄を乗り潰しそのまま西鉄宮地岳線(当時)で和白を経由して再び博多に戻った。そこから再び鹿児島を目指し南福岡に到着したその時だった。どういう理由だったかは憶えていないが(特急の通過待ちか車両の切り離し・・・う~ん、憶えていない)列車から降りてホームを歩いていると「ごーっ!!!」という音とともに激しく地面が揺れた。福岡県西方沖地震だ。とりあず横に停まっていた列車に飛び乗った。列車はぐらぐらと激しく左右に揺れてようやく揺れが収まった時、九州全域でJRは点検のため運転取りやめ。「山は無理かもしれんな・・・」と思いながらも色々あってなんとか鹿児島中央の駅に着いたのは夜中の1時過ぎ(2時近かったかな??)。大きな地震が起こると線路が長いJRの場合は点検にめちゃくちゃ時間がかかるというのをその時に身をもって体験していた(福岡市営地下鉄と西鉄大牟田線はJRよりも早く復旧していた)。
なので地震が起きたのが列車を降りた後だったのはある意味幸運だったと思っていた。もし列車の中であの地震にあっていたら相当長い時間列車の中で缶詰めになり大丸温泉へのバスにも乗れていなかっただろう。
一応嫁と親に無事ですメールを送った。地震の後で繋がりにくくなっていたのかなかなか送信できず何度も送信を繰り返した。
DSCF6735.JPGバスに乗っているとなかなか感じにくいがその後も余震が続いていたようだった。信号待ちをしていると横の道路標識が揺れていたり、建物の中から人が飛び出てくるのを目撃した。
その後バスは混乱もなく僕の宿泊する「休暇村 那須」に到着。チェックインするとフロントでエレベーターが現在止まっているとの説明を受けた。まぁあんだけ揺れたら停まるわなと思いながら階段を上り自分の部屋に入る。よっこらしょと荷物を置きテレビをつけた。   「何これ・・・・」
画面には燃え上がるコンビナートや水浸しのディズニーランドの駐車場が映っていた。その映像の横には「東北・関東で大地震」の文字があった。あの地震でこんなことになってるなんて思いもしなかった。画面は八戸港の様子に変わった。でっかい船が横倒しになって津波が押し寄せている映像だった。水かさがすごい勢いで増していき次々とまわりの物を飲みこんでいる。とても日本で起きていることだとは思えなかった。
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1977/09/23
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さらりーまん
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登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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