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2008年12月23日
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嫁の指令で京都の街を目指して走る。ラジオを聞いているとこの日は参院選挙の日だった。しかしこの一年、民主党にはがっかりどころか激しく憤りを感じていた。ガソリンの税金撤廃、高速無料化、子供手当、沖縄の基地・・・どれ一つとってもまともに公約を守れていない。挙句の果ては消費税を上げるとまで言い始め「ギリシャみたいになってもいいんですか!!!」と逆ギレする始末。てゆーかこれをやるって言ったのおめーらだろ。財源どうすんのって?ってみんなが言っても「無駄を省けば全部できる」って言ったのもおめーらだろ。金がないからできませんって開き直ってんじゃねーよ。こんなことも予測できんおめーらに国の運営するだけの能力はない。かといって自民党でもダメだ。ここはひとつ「蟹工船」の政党に頑張ってもらわねば・・・そんなことを考えていたらやっぱり民主党惨敗。ま、当然の結果だと思う。
京都の中心を流したあと川西に向けて走った。途中箕面でケンタの食べ放題に行った。時刻は15時過ぎにもかかわらず店内は満員。30分以上待たされてやっとこさお肉にありつけた。毎回思うけどこの食べ放題、行く前は食べる気満々だけど帰るときにはなんだか敗北感を感じる。今回も気持ち悪くなるくらい食べたんだけど値段に換算するとたいしてお得じゃないような・・・。それでも2カ月に1回くらい来てしまうんだなぁ。胸が脂っこくてともすれば吐きそうになりながらも滋賀の旅は幕を閉じた。
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激闘の名古屋ー京都ツーリングから一夜明け、野宿の朝を迎えた。体にキレはなくお尻も痛い。正直もう帰りたかったがH川君が「安倍晴明の墓に行きたい」といいだした。当時はまだ陰陽師ブームはきておらず「あべのせいめい」と聞いたところで何のこっちゃさっぱり分からず「阿倍野生命とかいうどっかの保険会社」くらいにしか思わなかった。地元民に場所を聞きながらその安倍晴明の墓に行き(どんなんだったかまったく覚えていない)さて次はどうするかと考えた。正直自転車で名古屋に考えるなんてことは考えるだけでうんざりだった。かといって電車の中に自転車を持ち込むわけにもいかん。とりあえず京都駅に向かって走っていると宅配便の看板が目に飛び込んできた。「よし、送ってしまおう!!」 それは二条駅前にある不動産屋の前にあった。その不動産屋に入り名古屋から自転車でやってきた旨を話すとその不動産屋のおっちゃんはたいそう面白がってくれ「まぁ座りなさい」とお茶を出してくれた。「どこの学校?」と聞かれ絶対知らんだろうなと思いながらも「名城大学です!!」と答えると「おぉ~知ってるよ、『めいだい』でしょ」などと言ってきた。一般的に「めいだい」といえば「明治大学」のことだけど名古屋で「めいだい」といえば「名古屋大学」のことを指す。なので僕らみたいな弱小大が「めいだい」を名乗るなんて恐れ多いしそもそもうちの大学に略称なんてもんはない。「めいじょー」は「めいじょー」なのである。僕らは「おっちゃん、ホントは知らねぇだろ」と心の中で突っ込みながらもお茶を出してくれただけでなく送料の値引き交渉、さらにはシャワーまで使わせてくれるなどこの世に「いい人検定」なるものがあれば間違いなく有段者になれるであろうほどの「いい人」ぶりに感動し、そのへんのとこは流しておいた。このおっちゃんの親切心あふれるもてなしに心も体もリセット出来た僕らはここで自転車を手放し意気揚々と電車に乗って名古屋に帰った。あれから10年以上たったけど今でもいい思い出である。ちなみに翌年僕はこの区間をMTBで一人で走った。とはいえ京都に向かう事が目的ではなくこのときは京都のはるか先、広島の実家まで自転車で帰ったのである。3人で行った時には湖岸道路に迷い込んだこともあり17時間以上の時間を要したけどこの時は吹田に住んでた弟の家まで15時間ほどでたどり着いた。サイコンが示した数字は223キロ。しかも背中に10キロの荷物を背負っての事なのでまずまずの数字だったと思う。

話はハンパなく逸れまくったけど、あれから13年たって見た「湖岸道路」の文字にこんなことを思い出した。
今日のツールはすごかった。我らが幸也がステージ6位の快挙!!しかし慣れというものは恐ろしい。この「ステージ6位」という快挙も昨年の第2ステージの5位の時と比べると少し興奮度が低い。去年は「出るだけですごい!!」というツール出場だったけど今年は「ステージ優勝が見たい!!」というふうに期待のレベルが上がってしまっている。今年は画面にもよく映るし完全にヨーロッパの選手と比べても見劣りしない・・・どころかなんだかこのツールで1回くらい勝ってしまうんじゃないかとさえ思ってしまう。まぁそんなに簡単なもんではないんだけどそう思っている人もたくさんいるはずだ。しかしこの日は幸也以上にくぎ付けになった選手がいた。コロンビアのレンショーだ。あの頭突きにはホントにしびれた。エースのためにあそこまで体を張る姿に男を感じた。しかしあれで失格にしてしまうとはUCIもケツの穴の小さいことよ。しかも最初にひじを入れてたのはディーンじゃないか。あれくらい大目に見ろって思ってるの僕だけじゃないと思う。
今の僕なら完全にあきらめてしまう状況でも当時の僕たちにはあきらめるという選択肢は全く頭になかった。「あと何時間走りゃいいんだよ?!」「1時だ!1時過ぎるぞ。」 もう最後まで行く事しか頭になかった。若いってステキ。ちなみにこのとき立ち寄ったコンビニは琵琶湖大橋を渡ったところにあるサンクスだと思われる。
悪夢の湖岸道路からさっさと撤退し一気に1号線まで出る。そしてひたすら西を目指した。大津駅を通過しついに滋賀と京都を分ける逢坂山に差し掛かる。この時点ですでに時刻は0時に迫っていた。すぐわきを京阪電車の線路が引かれているがすでに終電は終わっているようだった。しかし京都に向かう途中にこんな山深いところがあるとは思わなかった。両サイドには山が迫り人気もまったくなく不気味なことこの上ない。カラス天狗の2,3匹が襲ってきてもなんの不思議もないような不気味なところであった。逢坂山を越えついに京都市は山科区に突入。さらに進むと再び坂道に差し掛かる。東山の山越えだ。この時、すでに体力もケツの痛みも限界を通り過ぎていたと思われるんだけどこの辺の記憶があんまりない。ただ強く印象に残っているのがこの坂道を登ってる途中で後ろを振り返った時に見えたきれいな夜景。今地図で確認するとパデシオン山科夢ヶ丘ちゅうマンションのあたりだった。
そこからさらに登ったところに東山トンネルというのがある。車道の方の東山トンネルは自転車での通行はできないようだったのですぐ横にある旧道みたいな道を迂回する。時刻は午前1時になろうとしていた。ここも先ほどの逢坂山同様人気のない不気味なところだった。。「ここを越えたら京都の街なかまではもうすぐだ!」  力を込めてペダルを回していると前方にこちらを向き突っ立ってる老人の姿が見えた。僕らは何事もないかのように老人の横を通過した・・・が、すぐさまスピードを上げてその先にある小さなトンネルも一気に通り抜けた。「見たか??」「おう、なんじゃありゃ???」その老人(おじいさん)のいで立ちというのが何とも異様だった。上半身は下着姿で下は短パン。文字で書くとなんでもない恰好だけどそこからにじみ出る雰囲気というのがあまりにも異様だった。付近に民家なんか全然見当たらなかったし時刻は午前1時前。なんでこんな時間にあんな場所で一人ポツンと立っていたのか???3人だったから一気に走りぬけることができたけどもし僕が一人であの場面に出くわしたならば完全に腰をぬかしていたに違いない。さらに軽い尿漏れなんかでは済まなかったはずだ。今でもあの時見たのは幽霊に違いないというのが僕たちの定説となっている。
背筋がぞっとすろ思いをしながらもとうとう京都の街なかに突入。そして午前1時半ごろ(だったと思う)京都駅に到着した。当時はまだ現在の駅舎への工事中であり結構雑然としていた。「着いてうれし~い!!」という気持ちよりもやっと着いたという安心感の方が大きかった。当初話していた「祇園で芸者でチョメチョメで・・・」なんて事はかすりもせずその日は駅の横にある中央郵便局の敷地で僕たちは野宿した。


まだ続く・・・
夕暮れ迫る湖岸道路を進む。ケツは痛いが走りやすい道だ。「目標10時!!」。距離も自分たちの走るスピードも何一つまともに把握していないのにこんな目標を設定した。「今夜は山城並みに祇園で芸者でチョメチョメだぜ!!」とバカ全開で京都を目指す。日もとっぷり暮れ7時になり8時になりとうとう目標の10時となった。予定では京都の祇園にいるはずが未だに湖岸道路を抜け出せず真っ暗やみの中を電球の切れたママチャリで走り続けていた。疲労困憊で休憩の回数が明らかに増えている。このころになるとさすがに「なんかおかしい」と思い始めた。自分たちがいったいどこを走っているのかさっぱり分からず大いに不安が襲ってきた。すると前方に久々にみる建物の明かり。「おぉ大津だ!!やっとこさ大津に来たぞ~!!」と久々にテンションが上がる。数時間ぶりに見るコンビニに飛び込み店員氏に確認する。「ここはどこですか?」非常に間抜けな質問だがバイト君は真面目に答えてくれた。「守山ですけど・・・」   
「はい??」 僕らはそろって固まった。守山って言うと大津の手前の草津のまだ手前だ。「あんだけ走ってなんでまだ守山なんだよ!!!」  パラレルワールドに足でも突っ込んだか?と訳の分からないまま地図で現在地を確認する。気絶しそうになった。僕らが走ってきた湖岸道路、この道は恐ろしい事に琵琶湖の形通りに引かれた道であった。すなわち素直に国道を走っていたならばとっくに京都に着いていたはずが、どんな道かも確かめず米原の地元民に言われるがままこの道に突入した僕らは琵琶湖の形にそって果てしなく遠回りをしていたのである。これにはさすがにショックを喰らいへなへなと座り込んでしまった。
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男性
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1977/09/23
職業:
さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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