忍者ブログ
2008年12月23日
[59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

eb9f248f.jpeg14:31、備後落合に到着。僕を含めた乗客三名も下車。全員鉄ちゃんだ。ここで新見行きに乗り継ぐ。ここは木次線との連絡駅だ。木次線のホームにも列車が停まっており芸備線の新見行き、折り返しの三次行き、そして木次線の出雲横田行きと三本の列車が停車しており賑やかだ。山の中のターミナルと行った趣だけどすべてキハ120の単行で乗客も少ない。駅自体も無人駅だ。それでもホームには写真を撮ってる人たちが数人いる。バイクで乗り付けた人もいるようで二台のバイクが並んで停まっている。しかし木次線のダイヤは強烈だ。備後落合から発車する列車は1日三本。芸備線の新見方面の列車も三本なのでいい勝負だ…とかいう問題ではなくこりゃほんとに凄まじい。JRの「乗れるもんなら乗ってみろ」という激しい気迫を感じる。乗り潰しやってる人的には日本屈指の乗車困難区間だ。
西日本にすんでる僕からすれば岩泉線に乗ろうとするくらいの難しさ。まさに乗り鉄泣かせの区間なのだが今僕はここにたっている。そして上下の芸備線と木次線が同時に顔を会わすのは1日で1度、この時間のみ。非常に貴重なスリーショットなのである。
fdc5af8d.jpeg
木次線出雲横田行きキハ120形。列車をバックにハイ、ポーズ!






0f9d1e9a.jpeg

ここからの旅の相棒、新見行きのキハ120形





8a7c117e.jpeg
ここまで連れてきてくれた三次からのキハ120形。ここで折り返し三次行きとなる。



14時34分、新見に向け出発。車内には備後落合までの面々に加え二名がプラス。五十代くらいの夫婦で旦那が鉄ちゃんぽい。こんな旅に付き合ってくれるんだから奥さんもいい人だ。状況から見て山陰方面から木次線でやって来たものと思われる。
今回の芸備線の旅ではこの区間が最大の核心部分だ。なんたって1日の列車の運転本数は上下で三往復。木次線同様乗り潰しやってる人的には色々と苦労する区間だ。特に東日本の人なんかは芸備線、木次線、三江線といった中国山地の線はなかなか手強いと感じると思う。
列車は先ほどよりもさらに山深いところを走る。時折線路側にせりだした木の枝と接触しながら走る。そして頻繁に現れる速度制限の標識。見通しの悪いカーブも多い。こりゃ線形が悪すぎるな。まぁ求められてはいないだろうけど簡単にはスピードアップを図れるような区間ではない。初めて乗る区間ではないけど前回乗ったのがもう7、8年前だから今回乗ってみて改めて感じた。
525225e0.jpeg
さらば備後落合駅!また逢う日まで。






DSCF0085.JPG
草ぼーぼー






DSCF0116.JPG
廃線跡じゃないですよ~。「一日3往復」の列車が行きかう現役バリバリの線路。






DSCF0056.JPG
窓に木々が当たる。まるで藪こぎのような線路。






DSCF0081.JPG
トンネル






53543796.jpeg
なんか北海道チックな景色







DSCF0078.JPG
こんな景色が続く。もはや広島とは思えん。






DSCF0075.JPG
こんな草ぼーぼーの線路を走る列車、なかなか乗れないぞ。






DSCF0091.JPG

いやー芸備線、すばらしい!!








DSCF0151.JPGしばらく走り東城を過ぎると多少は周りが開けてきた。少ないながらも停車駅ごとに1人2人くらいの乗車がある。こんなに少ない運転本数でも地元の足としてしっかり頑張っているんだなぁ。備中神代に到着。戸籍上はここが芸備線の起点だ。ここからは伯備線に入る。さすがに天下の大幹線。これまでの心許ない線路と違い陰陽連絡線の雄としての風格漂う力強い線路だ。そして列車は新見に到着。広島を出発して約5時間、やっとここまでやって来た。構内は二面四線でホームとホームの間に二本のの待避線が通っている。広々としていてこれまでの小駅と比べると非常に威厳のある造りだ。

DSCF0162.JPG倉敷側には真っ黄っ黄の115系と105系が停車している。こんなとこにも真っ黄っ黄が進出してるんだなぁと思っているとゆっくりと115系がこちらにやって来た。しばらく眺めていたら行き先が姫路となっている。姫路までこの真っ黄っ黄が進出してるのかぁ~。まぁあそこは中国地方の入り口みたいなもんだからあり得るわな。そして改札で下車印を押してもらい外へ出た。


DSCF0183.JPG
新見駅構内。桁違いのローカル駅ばかり通ってきたのでめちゃくちゃ立派に見える。






DSCF0171.JPG
山陽と山陰を結ぶ交通の要衝であり






DSCF0181.JPG
中国山地を東西に結ぶ交通の要衝でもある

 
PR
今日のダイエーに行った時の話の続き。石井スポーツの件で感動しつつそのままポポンデッタに向かう。
Nゲージを眺めつつ書籍のコーナーへ。そういえば書籍のコーナーにはこれまで行った事がなかった。
そこで発見したのが過去の時刻表コーナーだ。「おぉ~、こんなもの売ってるのか」
棚には過去の時刻表が並んでいた。その中で1989年3月の時刻表を発見した。「おぉ~すげぇ!!」 僕がまだ小学生だった頃の時刻表だ。
中を開くとこれはすごい。すべてを書くときりがないけど九州では伊田線、糸田線、田川線といった現在は平成筑豊鉄道に三セク化された路線がJR線として掲載されている。さらに今は亡き宮田線がまだ現役で残っている。
東京近郊では京葉線が東京までつながっておらず新木場ー蘇我間となっていた。
北海道では天北線、深名線、名寄線、地北線、標津線が現役で残っていた。こりゃすごい。宮脇俊三大先生の本でしか見たことがない路線が現役で残っている。さすがにすでにJRになった後の話なのですでに廃止されている路線や三セク化されている路線はあるけどそれでもこれは非常に貴重な資料だ。
「高いのかなぁ??」と恐る恐る値段を確認するとなんと値段は315円。安いっ!!全部315円なのかと値段を確認すると315円のもののほかに735円というものもある。なにが違うのだ??状態の差か?
そんな中1988年の3月の時刻表を発見。こちらは袋に入れてある。値段を確認するとなんと2100円!!なんじゃこりゃ!?プレミアがついているのか???表紙は青函トンネル。そういや1988年の3月開通だったっけか?さすがにこれに2100円も出せないので1989年の3月のやつを買った。帰りの電車で中身を開くといやーすごい。ブルトレなど今は廃止された特急や今や絶滅危惧種となった急行列車がこの当時はビュンビュン走っていた。見ているだけで楽しくなってくる。いや~買ってよかったわ。そして思った。「1994年の時刻表が見たい・・・」
1994年というのは僕が18きっぷを使って初めて一人旅をした年だ。あれは春休み、3月のことだ。そして8月には生まれて初めて北海道にも一人で行った。その後は数えきれないほど旅に出たけどこの二つの旅というのは今でも鮮明に覚えている。ルートもはっきり覚えているので時刻表さえあればどの列車に乗ったというのはすぐにわかる。よ~し明日は1994年の時刻表を買うか。つーか店の人もビビるだろうな。さすがに古~い時刻表を二日連続で買っていくやつというのも珍しいだろうから。
今日、仕事帰りに久々に三宮のダイエーによってみた。先日みたベスト電器のあとに入るアウトドアショップのことが気になったからだ。
そしてめちゃんこびっくらこいた。なんとあの石井スポーツが入るというのだ。マジでか!?んじゃ今ある店はどうするのだ?こっちに移転するってことか??個人的なことを言わせてもらうと僕的には都合がいい。今の場所は僕の帰宅ルートから外れているので行くのが少々めんどくさい。これはmont-bellも同様。なのでとりあえずルート上にある好日山荘で用を済ますことが多い。しかしダイエーに移るのなら大変便利になる。しかしスーパーに石井スポーツが入るというのは少々違和感があるなぁ。慣れの問題か?ま、難しいことはおいといてこれでダイエーにはジュンク堂とポポンデッタと石井スポーツという僕の御用達の店が集まった。いいことだ。
12:45、三次到着。この駅は芸備線のほかに三江線、そして福塩線も乗り入れている(←戸籍上は塩町が終点)。
中国山地の交通の要衝だけど、どいつもこいつも一級品のローカル線なので都市の雑踏みたいなのとはまったく無縁な駅である。しかしこういう雰囲気は好きだ。
DSCF9965.JPG

広島からともに旅したキハ47





DSCF9964.JPG
僕が乗ってたキハ40







DSCF9971.JPG

反対側のホームから







DSCF9976.JPG
前2両のキハ47と切り離されたキハ40






DSCF9983.JPG
芸備線は今後この色に変っていくらしい。昭和にワープだ。







DSCF9984.JPG

そうそう、みんな乗ろう!







DSCF9974.JPG

ついに備後落合の文字が。昔は広島発備後落合行きなんてのもあったような気がするが・・・







DSCF9968.JPG

で、ここからの旅の相棒キハ120





ひとしきり写真を撮ってから13:12発の備後落合行きに乗り込む。単行のキハ120形だ。車内には僕を含めて乗客は4人。よし、いい感じだ。そして列車は備後落合に向け出発した。
芸備線に乗ること自体わくわくするんだけどここから先はそのわくわく具合がぐっと上がる。ある意味ここから先が今回の旅の核心部分だ。

DSCF9993.JPG
ここで福塩線と分岐





しばらくはそれまでと同様の田園風景が続く。そして備後庄原を過ぎたあたりから車窓の景色がどんどん山深くなってくる。

DSCF0006.JPG
庄原ですれ違い







そして列車の速度がどんどん遅くなる。「ん?なんじゃ?」と後方の運転席の横の窓にかぶりつく。すると制限速度の標識に25kmだの20kmだのと書いてある。しかも雨の時だと15kmなんてのもある。それがいたるところにあるもんだからスピードが上がったかと思えば急にスピードが落ちたりする。そして25kmや20kmの速度制限のある区間ではそこを通過するまでほんとに止まりそうなスピードでじりじりと進む。こんだけ両サイドに山がせまってりゃこういうことになるのも致し方ないのか??
DSCF0037.JPG

緑が濃くなってくる





DSCF0024.JPG
山ですな






DSCF0026.JPG
樹林の中を行く






広島から三次に向かう途中にもこういう区間があり実際に線路わきの斜面が崩れてブルーシートがかけられているところがあった。まぁこのようなところに線路をひいているために崩れた土砂に乗り上げる、倒れた樹木に乗り上げるって事故は起こりがちだ。JR西日本は例の事故以来この手のものには多少神経質になりすぎな面があるような気がする。安全第一はわかるんだけどやりすぎてもねぇ。
そして14:31、列車は備後落合に到着した。

名駅の大名古屋ビルヂングが閉館らしい。いやー全然知らんかった。僕的には名駅の顔って感じだったのでびっくりした。このビルを初めてみたのは16歳の春休み。18きっぷで広島から九州一周に向かう途中であった。
つーかなぜ九州に行くのに途中が名古屋なのかを簡単に説明すると、広島から直に九州を目指すのではなく京都からムーンライト九州で九州入りするルートをとったため、その時間調整で東へ行けるところまで行ってみようということで行ったのが名古屋だったのだ。
到着した名古屋駅は当時工事中で(タワーズの)なんだか雑然としていたけどそこで目にしたのがこの大名古屋ビルヂングの文字。当時名古屋は都会というイメージでやってきたのにこの田舎臭いネーミングでどんと構えるこのビルに恐れをなしたものだった。今回はこのビルをとりつぶして34階建てのビルをつくるらしい。初めて来た当時はタワーズもミッドランドスクエアもなく「人は多いけどなんか駅前は低い建てもんばかりじゃのぅ」という名古屋のイメージだったんだけどこれを最近は名古屋でもいろいろ高いビルができてきた。大いなる田舎から脱却できるかな?とりあえずなじみのある建物がなくなって少々寂しい気分になりました、はい。
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
としぷー
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1977/09/23
職業:
さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
カウンター
忍者アナライズ
忍者ブログ [PR]
○photo by hanamaru.○