2008年12月23日
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昨日は給料日。わずかながら懐が温まったところで三ノ宮のジュンク堂へふらっと立ち寄った。「そろそろ新刊出てんじゃないか?駅弁ひとり旅」
するとグットタイミングで新刊の11巻が発売されていた。早速購入。川西に着くまでの間読みふけっていた。ちなみに僕は漫画本にもブックカバーをかけてもらう。なので正直、表紙がどんなのだったかという記憶がほとんどない。そんな感じなので以前ジュンク堂に立ち寄った際に「新刊出てねぇかなぁ」と駅弁ひとり旅を探していた時に「おぉ~出てるじゃないの!!」と10巻を購入。電車に乗り込み早速ページをめくると「ぐふぉ!!!」
それは紛れもなく以前読んだことのある話だった。そう、2冊目の10巻購入でございました。
今回は「最新刊」の札がついているものだったので安心して購入。そして今日の帰りにすべて読み切った。そこで非常に共感できる話があった。それは飯田線を全線乗り通すという件。「日本一忍耐を要求される列車」「鉄道我慢くらべ大会」という件を読んで「わかるわ~」と激しく同意した。
あれは僕が大学生だった頃。(2年の時だったかな??) 当時、別に「乗り潰し」というものを意識してやっていたわけではなかったんだけどどこかからの帰りに(あんまり記憶がはっきりしてない。碓氷峠最後の夏だの帰りだったか??いや冬だったかもしれん。諏訪湖が凍ってたような気がしないでもない・・・とにかくこの頃は気が狂ったように乗りまくってたからよく分からん。)今まで乗ったことがないということで飯田線で帰ることにした。途中天竜峡で豊橋行きに乗り換えた。このあたりまでは周りの景色も見えてまぁいい感じだったけどそこから雲行きが怪しくなる。天竜峡を過ぎると窓の外の光自体が少なくなって外の景色が見えなくなる。今なら飯田線の知識もそれなりにあるから色々と興味を持って乗っていられただろうけど当時は名前を聞いたことがあるくらいの知識しかなかった。その状態での夜の飯田線はまさに走る牢獄と化す。窓の外は真っ暗すぎて何も見えない・・・つーか窓に映る自分とにらめっこしてる自分に気付く。車内はガラガラ。することもない。眠くもない。だーれも住んでないのにやたら駅の数が多い。だんだんとうんざりしてくる。駅の間隔が異常に短く地下鉄並みにすぐ停まる。これが延々豊橋まで繰り返されるのだ。三度の飯より電車に乗るのが好きだった僕もこれにはホント気が狂いそうになった。電車好き・・・つーか完全に鉄ちゃんを自負していた僕が生まれて初めて「もうゆるしてくれぇぇぇぇ」と本気で思っていた。時刻表を見ても行く手にはおびただしい数の駅が控えている。停まれども停まれどもだーれも乗ってこない。だーれも降りない。途中で車掌がどこまで乗るのかを少ない乗客に聞いてまわる。とにかくちょっと動いてすぐ停まるというのを延々と繰り返す。「拷問だよ、これは・・・」
豊川についたあたりで「やっとゴールが見えてきた」と感じ、豊橋に着いたときには「・・・疲れた。もういいわ・・・」と鉄道好きとは思えない感想で心がいっぱいになったことを覚えている。そのあと終電の早い鶴舞線に間に合わせるために名鉄特急を使ったような気がする・・・いや新快速で帰ったんだっけ??もう記憶もぐしゃぐしゃだ。しかしこれだけははっきり覚えている。
「飯田線はほんとにしんどい」
以上。僕の飯田線の記憶でした。
するとグットタイミングで新刊の11巻が発売されていた。早速購入。川西に着くまでの間読みふけっていた。ちなみに僕は漫画本にもブックカバーをかけてもらう。なので正直、表紙がどんなのだったかという記憶がほとんどない。そんな感じなので以前ジュンク堂に立ち寄った際に「新刊出てねぇかなぁ」と駅弁ひとり旅を探していた時に「おぉ~出てるじゃないの!!」と10巻を購入。電車に乗り込み早速ページをめくると「ぐふぉ!!!」
それは紛れもなく以前読んだことのある話だった。そう、2冊目の10巻購入でございました。
今回は「最新刊」の札がついているものだったので安心して購入。そして今日の帰りにすべて読み切った。そこで非常に共感できる話があった。それは飯田線を全線乗り通すという件。「日本一忍耐を要求される列車」「鉄道我慢くらべ大会」という件を読んで「わかるわ~」と激しく同意した。
あれは僕が大学生だった頃。(2年の時だったかな??) 当時、別に「乗り潰し」というものを意識してやっていたわけではなかったんだけどどこかからの帰りに(あんまり記憶がはっきりしてない。碓氷峠最後の夏だの帰りだったか??いや冬だったかもしれん。諏訪湖が凍ってたような気がしないでもない・・・とにかくこの頃は気が狂ったように乗りまくってたからよく分からん。)今まで乗ったことがないということで飯田線で帰ることにした。途中天竜峡で豊橋行きに乗り換えた。このあたりまでは周りの景色も見えてまぁいい感じだったけどそこから雲行きが怪しくなる。天竜峡を過ぎると窓の外の光自体が少なくなって外の景色が見えなくなる。今なら飯田線の知識もそれなりにあるから色々と興味を持って乗っていられただろうけど当時は名前を聞いたことがあるくらいの知識しかなかった。その状態での夜の飯田線はまさに走る牢獄と化す。窓の外は真っ暗すぎて何も見えない・・・つーか窓に映る自分とにらめっこしてる自分に気付く。車内はガラガラ。することもない。眠くもない。だーれも住んでないのにやたら駅の数が多い。だんだんとうんざりしてくる。駅の間隔が異常に短く地下鉄並みにすぐ停まる。これが延々豊橋まで繰り返されるのだ。三度の飯より電車に乗るのが好きだった僕もこれにはホント気が狂いそうになった。電車好き・・・つーか完全に鉄ちゃんを自負していた僕が生まれて初めて「もうゆるしてくれぇぇぇぇ」と本気で思っていた。時刻表を見ても行く手にはおびただしい数の駅が控えている。停まれども停まれどもだーれも乗ってこない。だーれも降りない。途中で車掌がどこまで乗るのかを少ない乗客に聞いてまわる。とにかくちょっと動いてすぐ停まるというのを延々と繰り返す。「拷問だよ、これは・・・」
豊川についたあたりで「やっとゴールが見えてきた」と感じ、豊橋に着いたときには「・・・疲れた。もういいわ・・・」と鉄道好きとは思えない感想で心がいっぱいになったことを覚えている。そのあと終電の早い鶴舞線に間に合わせるために名鉄特急を使ったような気がする・・・いや新快速で帰ったんだっけ??もう記憶もぐしゃぐしゃだ。しかしこれだけははっきり覚えている。
「飯田線はほんとにしんどい」
以上。僕の飯田線の記憶でした。
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男性
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1977/09/23
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さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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