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2008年12月23日
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北岳続きです。初日の行動を早々に打ち切ったために2日目は白根御池のテン場から農鳥小屋までの少々長めのコース。とりあえず草すべり経由で北岳山頂を目指しました。しかしこの日もペースはさっぱり上がらず要所要所で休憩を挟みやっとこさ山頂に立った時にはすでに11時半。そして北岳小屋方面へと下り始めたのでdcba9f48.jpegすがこの辺からパラパラと小雨が・・・。ぐずついた天気と思い荷物にこの日も心が折れて「もう北岳小屋でいいや・・・。今後の行程はテントで考えよう・・・。」ともう完全にグダグダ状態。そして北岳小屋のテン場に到着後、受付を済まして早々にテントへ入る。本来の予定だとこの日は農鳥小屋のテン場に泊まり翌日奈良田まで一気に下る予定でしたが北岳小屋でとまっちゃってる以上、翌日に奈良田まで降りるのは無理。大門沢小屋で一泊して翌々日奈良田に降りようかなと考えたんですが実は当初の予定では奈良田に降りた翌日富士山に登る予定だったのです。富士山にはこれまで2度、11月と5月にチャレンジしたものの悪天に阻まれ頂上に立てませんでした。これまでは雪の富士山に登頂することにこだわっていましたがコンビを組んでた後輩のK藤に新婚の嫁から雪山禁止令が発令されてしまいました。そんなわけで現状だと雪の富士山を単独行でやらねばならなくなってしまいなんとなく気が重くなってしまって「だったらこの際夏の富士に登ろう!!」と相成ったわけです。しかし下山が一日遅れてしまうと休みの都合上富士山には登れなくなってしまうのでどうしたもんかと考え込んでしまいました。結局白峰三山縦走というのは非常に魅力的ではありましたがそれを断念し富士山をとることにしました。しかし百名山登頂を目指す僕としては間ノ岳だけは切り捨3075b1b4.jpegてることが出来なかったので翌日間ノ岳に登り八本歯のコル経由で広河原に下山することにしました。
翌日、四時半スタートで間ノ岳を往復。空荷だったんで快調に進みました。途中富士山がきれいに見えました。そして下山。八本歯のコルを目指して下ったのですがこのコース、なかなかハードでした。いやー登りにこのコースを選ばなくてホント良かった。この日も重い荷物にひーひー言いながら歩いたのですが全くペースは上がらず少し歩いては休憩ばかり。結局広河原まで5時間半かかりました。まぁ今回の北岳、完全に完敗でした。とりあえずトレーニング不足に加え装備の軽量化という大きな課題が残りました。
ところで広河原からその日の宿泊地身延に向かう途中いろんな事実が判明!まず行方不明だったノリぴーが発見。つーかお薬を使った挙句逮捕状まで出ちゃった状態で警察に自首。なんかもう無残にも程があるっつー感じで・・・。そしてそんなことよりもっと重要なことが!なんと台風が直撃しそうな勢いでこちらに向かってきてたのでした。北岳登るときにはそんな情報全くなかったのにまったくもう呪われてるとしか言いようのないやりきれない思いが・・・。過去二回の天候といい今回の台風といい富士山が僕に来るなと言ってるとしか思えないこの展開。結局その日身延の旅館に泊まり翌日富士山に登らず帰らざるを得ない展開となりました。しかし帰る日の朝、曇ってはいるものの雨は降っておらず「これって思いきって行っちゃってもいいんじゃないの??」と思えるくらいの非常にビミョーな空模様。うしろ髪を引かれる思いで名古屋方面へと帰って行きました。しかし時間がたつにつれ天気は安定してきて晴れ間まで出てくる始末。天候が荒れ狂ってくれた方があきらめもつくのに何ともフラストレーションの溜まる行程でした。あまりのいらいら具合に途中何度か(静岡駅についてた時とか浜松の駅についてた時とか)本気で富士宮方面に戻ろうとしたり富士山の山小屋に電話して現在の状況を聞いてみたりと未練たらたらでした。そんな不完全燃焼の状況で大阪まで帰ってきて余った18キップを駅前3ビルの金券ショップに売り払い帰宅の途に付いたのでした。そして悶々とした中眠って起きた翌日静岡地方に大地震が・・・。東名高速の路肩が崩れ落ちるほどの強烈なやつが起こったのでした。なんつーかこれもまた富士山が「もしお前が戻ってきてたらこうだぞ!!」って見せつけてきてるように感じてしまいました。こりゃもう山の神様が僕を富士山には登らせないようにしてるに違いないと・・・。しばらく富士山は近づかないようにしようと心に決めた僕なのでした。
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北岳の続きに行く前にちょっと六甲山の話を。とはいっても登山ではなくロードバイクの方なんですけど。最近、これまでのホームだった箕面の山に飽きてきて六甲山に進出しております。ロードを買って最初に走った場所が逆瀬川からの六甲山だったのですが慣れない前傾姿勢に加え箕面のお山とは比べもんにならんタフな登りに心が折れててっぺんの一軒茶屋まで半分くらい押して歩いてしまいそれ以来「六甲山なんてとてもとても・・・」とか思ってたんですがロードに乗り始めて1年半、そろそろいいだろうと思って先々週の日曜に再び逆瀬川から行ってみました。んがっ!!この日もてっぺんまでははるか遠く、数えきれないほど足をついてしまいました。でもその日の課題は「足はついてもいい。でも押して歩くな!!」ってことで一応全部乗って登りました。途中足をついてひぃーひぃー休んでるときに2人のローディーに追い抜かれ「うぉーかっちょわりぃー!!かっちょ悪すぎるぞおれぇ~!!」と屈辱的な気持ちになりながらもなんとか登りました。かかった時間は正確には測ってないけど1時間半以上。持っていた水を早々に飲み干し宝殿のインターでペットボトルをがぶ飲みしながらの戦いでした。そして先週の日曜。前回で山頂までのコースってのがわかったんでとりあえず今回は宝殿のインターまでは足をつかずに頑張ろうという目標で行ってきました。途中「うぉ~苦しいよ~!!!」と何度も足をつきそうになりながらもなんとか宝殿のインターまで足をつかずに到着。心拍数が130になるまで休憩して(ポラールのハートレートモニターつけてます)山頂へ。なんとか目標をクリアできました。かかった時間は1時間10分。次は足をつかずにゴールまで行きたいな~。宝殿まで来ればあとちょっとってのはわかってても自分的には結構つらい。いや~ヘッポコですな。でも自分なりに頑張ろう。以上六甲山でした。
前回から約一月ぶり。毎日更新してる芸能人ってえらいなと思う今日この頃です。今、自転車のロードレース、「ブエルタ エスパーニャ」見ながらブログしてます。しかしまぁなんと言うか今年初めてサイクルレースを見始めたんですが初めて観たのがツールドフランスだったせいかその後に見るロードレースってのがなんだか陳腐に見える。サッカーで言うなら初めて観たのがワールドカップでその後Jリーグ見るような感じなんかな・・・。まぁ暴言吐くのはこの辺にしといて先月行った北岳。結果的には惨敗でした。山自体が久し振りってことに加えて背中の荷物は26キロ。しかし去年の奥穂も一昨年の槍もこれくらいの荷物を背負って登れてたんで自分的にはいけるだろうと思ってたけど全然駄目でした。
8月5日、その日の仕事を終えて三ノ宮から大垣に向かい大垣からムーンライトながらで東京へ。東京からは中央線を乗り継ぎ甲府へ。まぁ経費節減で18キップで行ったわけです。そして9時のバスで広河原へと向かったのでした。天気は曇り。出発2日前までは晴れマークだったにもかかわらずこの日は午後から雨の予報。さすが雨男って感じです。さてこの日はスタートが遅いものの広河原から一気に北岳肩の小屋まで登る予定。しかし登り始めてしばらくすると予報通り雨が降りはじめ、さらに自分の感覚よりもはるかに体力の衰えが激しくヘロヘロになりながら二股へ到着。肩の小屋まではここからさらに3時間の登り。もう戦意喪失だった僕は相方の大学の後輩、k藤に「予定変更じゃ。白根御池小屋行くぞ」ってことでとっとと登りから逃げてしまったのでした。一応悪天とか寝不足でしんどい場合には白根御池で泊まることも想定はしてたんで次の日に今日の遅れを取り戻すつもりで白根御池のテン場でその日の行動を終えたのですが・・・。  次に続く!!!

ブログさぼってました。実に4ヵ月半ぶりです。前回は安達太良山に行く途中で終わってたんでそこから今までを簡単に振り返ると・・・.
639c9697.jpegまず安達太良山。雨の予報の中それでも安達太良山に向かったものの現地は予想以上の大荒れの天気。登山口のスキー場は猛吹雪でゴンドラ関係が全てストップ。風がむちゃくちゃ強くしかもホワイトアウト。途中の勢子平という台地状になった平原で登山道から外れそこで一時間くらいプチ遭難してました。GPSを持っていたものの僕の持ってるのはガーミンの「GEKO」という地図が内蔵されていないタイプのもの。自分でマップポインターと地図を使って現在地を確認するというものだったのでパニくった僕はうまい具合に現在地を確認することができずビバーグを覚悟。そうしたらちょっと落ち着いてなんとか現在地を確認することができなんとか登山道に復帰。後発のパーティーよりも大幅に到着が遅れたので宿泊地のくろがね小屋に着いた時には山小屋の人から「あと5分待って来なかったら探しに行こうと思ってた」って言われるくらいヤバい状況でした。ちなみにその日の宿泊予定人数は60人でしたがfb2c061c.jpeg実際に小屋までやってきたのは僕を含め3パーティー8人。温泉にもゆったり浸かれました。翌日は埼玉から5人パーティーに混ぜてもらい安達太良山山頂を目指しましたが、この日も非常に風が強く5分に一回くらいの割合で耐風姿勢をとらなきゃいけないくらいでおばさん達は風に飛ばされてました。結局このパーティーは山頂アタックを断念。結局僕一人で山頂を目指し無事登頂できました。翌日は筑波山に登り帰途につきました。
e54ba58e.jpegその後の山行というと3月下旬に雪の大山に登りました。そして8月までは近所の中山や六甲山を2歳の息子を背負って2,3回登った位でまともな山行はありませんでした。そんなトレーニング不足の中、南アルプス白根三山縦走へと出かけたわけなんですがその辺は次回の講釈で・・・。

 

3月13日。この日の深夜大阪駅であさかぜ・富士号を見送り会社も昼からの出勤で仕事も適当にやっつけた僕は福島の安達太良山へ向けひとまず岐阜の大垣へと向かいました。三ノ宮から19:36発の長浜行き新快速でとりあえず米原へと向かいます。車内ではひたすらまどろみ続けやっとこさ降りる準備を始めたのが能登川を出たあたり。その間寝ぼけながら考えたことは「あさかぜ・富士とはどの辺ですれちがうのかなぁ・・・」。
その日ラストランを迎えるあさかぜ・富士とどこですれ違うのか考えつつうつらうつらしてましたが米原から乗り換えた大垣行きの車内で時刻表とにらめっこしながらあることを考えていました。「ながらの中から見送るのではなくホームで見送りたい」。  そこで考えたポイントは3つ。名古屋・岐阜・穂積の3駅のどこで見送るか。
このまま進むと大垣には21:59着。そこから豊橋行きに乗り換えると名古屋着が22:40。名古屋発が22:46分なのでほとんど待ち時間なく見送ることができる。「あさかぜ・富士を同じ日に大阪駅と名古屋駅で見送る・・・う~んいいねぇ。」と最初は思ったがふと嫌な予感が。さすがに名古屋だとめちゃくちゃ人が多いのではないか。アホみたいな雑踏の中、入線直前に着いた名古屋ではたして列車を見送ることができるのか・・・。そんなことを考えると名古屋まで行くのはちょっとヤバいと考えはじめ名古屋は外すことに。残るは穂積と岐阜。穂積はあさかぜ・富士の停車駅ではないから人はほとんどいないはず。そのホームからあさかぜ・富士のラストランを見送るのもおつではないか・・・と思ってはみたもののだーれもいないホームで何十分も待つのもなんか寂しいなーと考え「よし岐阜だ!!岐阜でラストランを見送るぞ!!」と決め大垣から乗り継いだ列車を岐阜で降りました。岐阜で下車してもあさかぜ・富士の入線までには時間があるのでとりあえずトイレで歯磨き。その後ホームへと上がりました。ホームではそれと分かる人たちがいるものの程良い込み具合でいい感じ。入線時刻が近づくにつれホームに上がってくる人の数も増えましたが押すな押すなの大混雑とまではいかず程良い活気で人々のマナーも悪くはなく穏やかな気持ちでラストランを見送ることができました。自分的にも岐阜で見送ることを決めたのは正解だったなーって思いました。その後、ながらを見送るホームへと向かう人もいましたがホームにいた8割方の人たちは三々五々に散っていきました。ムーンライトながらの定期運行最終日とはいえ今後も臨時列車で残るってことなんであんまり人々の関心を引かなかったみたいで・・・。そんなちょっと悲しいムーンライトながらに乗り込んだ僕は東京へと向かったのでした。
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1977/09/23
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さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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