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2008年12月23日
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午後12時、チェックアウト。予想を大きく裏切り楽しい時間を過ごせた。嫁のリクエストで京都の町中を流して帰る事にする。京都って川西市民的にはずいぶん遠く感じる。こないだアースライドで走った時も家から嵐山まで自転車で2時間足らずで行けてしまったので実際はそうでもないんだけど・・・。あんまり行く事がないからかな。とりあえず僕的には吹田より向こう側は「遠いとこ」ってことになる。
走り出してすぐ、ホテルの前の道が「湖岸道路」である事に気付いた。おぉ湖岸道路!!懐かしいなぁ。話はそれるがあれはもう13年も前の事。大学2年の夏、なんと僕はこの湖岸道路を自転車で走っていたのだ。
ただでさえ暇な文系大学生だった僕は、夏休みに入るともうどうしようもないくらいに暇を持てあましていた。そんなとき同じサークルの友人、H川君とK保田とひょんなことから「チャリで京都行こうぜ!!」って事になった。ちなみになぜK保田が呼び捨てでH川君が「君」付けかというとH川君は一浪していたため、僕は「元」先輩に対し敬意を示していたのである。
京都に行くと決めたのが夜の7時か8時くらい、出発したのが翌朝の7時か8時だったように思う。本当に思いつきで決めた事で地図もライトも持って行かず、今でも「あんなんでよく行ったよな」と話題に上る珍道中であった。名古屋を出発して岐阜を通り、関ヶ原越えでは一気に体力を消耗した。夕方4時過ぎ、米原に着くころにはみんなそろってケツ痛に苦しんでいた。K保田に関してはケツ痛に加えひざ痛にも苦しんでいた。米原に着きスーパー(駅前の平和堂だったか??)で買いだしをしてこれからの予定を話し合っていた。このときH川君が「もう国道を走るのは嫌だ」と言いはじめた。実は関ヶ原以降国道21号線の歩道の幅は狭く、加えて自分たちが走っている横をでっかいドラックがビュンビュンかすめていくという精神的にかなりストレスを感じる区間が続いていた。そこで再び走りだした僕たちは地元民に「僕たち京都に行きたいんですけどなんかいい道ないすか??」と聞いてみた。そこで地元民に教えてもらったのがこの「湖岸道路」なのであった。(聞いたのはたしか米原駅近くの新幹線の高架下だったような気がする・・・)
地図を持ってなかったので正確ではないかもしれないけど彦根に入ったあたりから湖岸道路を走り始めたような気がする。しかしこれが悪夢の始まりだった。
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プロフィール
HN:
としぷー
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1977/09/23
職業:
さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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