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2008年12月23日
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2週間ぶりのブログです。つーかもう2月も中旬だし春一番も吹き荒れたしいいかげん今日で年末北海道終わらせます。
前日春国岱を訪れた僕は厚床から列車に乗り釧路まで戻ってきました。この日のお宿は最近すごいペースで全国に増殖中のビジネスホテル「スーパーホテル」。実は出発前、元旦の宿を釧路でとるか塘路のYHにするか迷っていました。結局春国岱で夕陽を撮ろうと思うと時間的な問題もあって釧路に泊まることにしました。で、その日宿泊した「スーパーホテル」、値段も安く清潔で温泉も付いていて朝食も無料ということで非常に満足でした。DSC_3010.JPGDSC_2921.JPG







さて1月2日の朝、無料の朝食をたらふくいただき釧路発9時5分の「快速しれとこ」で塘路に向け出発。塘路からはコッタロ湿原に向け徒歩で向かいました。天候は一時的には晴れ間が見えるものの全般的に曇り。夕日は期待できなかったので少々早めに塘路駅にもどり列車までの2時間余りを撮った写真を見たりぼーっとしたりして過ごしました。17時56分、釧路に向け出発。その後釧路発19時30分の新得行きを乗りとおし23時30分、新得到着。新得では駅前旅館の「新得旅館」に宿泊。夜遅い到着ながらも非常に丁寧な対応をして頂き激しく感謝。翌朝早いのでそっこー風呂に入り就寝と相成りました。
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1月3日、北海道滞在最終日。この日は美瑛を歩いて回りました。天候は曇り時々雪。5時51分の始発で出発しました。美瑛駅からまずはマイルドセブンの丘を目指しました。足元はアイゼン等付けなくてもしっかり歩けました。マイルドセブンの丘、ケンとメリーの木とまわりラストはセブンスターの木を目指します。北瑛小学校の横の道から向かおうとしたところなんと冬期通行止めで道が除雪されていない!!ここで念のため持ってきていたワカンの登場。つぼ足ではズボズボ埋まる未除雪の道もなんのその、ワカン装着の一人ラッセルでセブンスターの木を目指しずんずん進んでいきました。観光協会が出してるイラストっぽい地図では結構距離があるのかと思っていたところちょこっと歩いただけで目指すセブンDSC_3138.JPGスターの木が見えました。左手の丘には親子の木が見えました。僕が進んだ道っつーのがどうやらその辺で一番高い丘らしく右も左もよく見降ろせました。そんな感じでセブンスターの木に無事到着。その後もと来た道を戻るのがめんどくさくなった僕は美瑛駅には戻らず今来た道を突き進み美瑛駅より2つ旭川寄りの千代ヶ岡駅を目指しました。持ってる地図がイラスト風なんで正確な距離ってのがイマイチわからん状態ながらも歩き続け無事千代ヶ岡駅に到着。そこから先は旭川に出て各駅停車を乗り継ぎ舞鶴へのフェリーの出発地、小樽へ向かいました。小樽駅到着後お約束の運河で撮影しその後タクシーで港へ。これまで敦賀ー苫小牧東間のフェリーは利用したことはありましたが今回の小樽ー舞鶴はDSC_3207.JPG初めての利用。小樽港は苫小牧の方とは違って町から近くて非常にアクセスが楽。そして乗り場に着いたとき「あー今回も終わったなぁ・・・」と感慨にふけりフェリーへと乗り込みました。翌日は一日フェリーの中でのんびり過ごそうと思ったものの船酔いにやられ一日グロッキー。これまで船酔いすることなんてなかったのにここ最近で船酔いするようになっちまいました。年のせいかな・・・??こんな感じで年末の北海道一人旅
は幕を閉じたのでありました。


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2009年1月1日 元旦。天気は曇り。ゆっくり寝れたものの夜中に強風と窓をたたく雨音を聞いた。今日は春国岱で一日を過ごす。メインは写真撮影で夕陽をとるのが最大の目的。ホントは朝日から夕陽までず~っと春国岱で過ごしたかったけどバス便が正月ダイヤで根室―厚床間の路線バスが全便休便休便とのこと。結構あるんですよね、この全便休便。この正月全便休便のおかげで鶴居村から釧路の新富士駅まで歩いたこともあります。
根室―厚床のバスは休便ながら根室―厚床―中標津空港を結ぶ空港連絡バスは動いているのでこれを利用する。駅前ターミナルを7時15分発の1便に乗り込み春国岱の最寄りのバス停、東梅を目指す。車内は僕一人。がらがらバスの鉄則、運転手さんの後ろに陣取る。東梅までは13分とわずかな時間ながら運転手さんとしゃべる。今年は暖かくて雪かきしなくていいから楽でいいとおっしゃっておりました。釧路とか根室とかって雪が少ないイメージなんですけどやっぱ雪かきとかしてるんですねぇ。東梅に到着後春国岱を目指し歩く。春国岱は今回3回目。前回来たときは夏。そして初めて来たときは元旦。その時は大した予備知識なしで訪問。森の中をさまよい海側に向かって歩いていた時あるものが目に飛び込んできました。「うおおぉー!!なんじゃありゃー!!」。前方には上部が雪で真っ白な巨大な大陸が!!(オーバーに聞こえるかもしれないですがその時はホントにそんなふうに思った) そう、その時目に飛び込んできた大陸とはあの国後島。それ以前にも尾岱沼に来たことがあって国後島を拝むチャンスはあったのですが持ち前の悪天ぶりで拝むことはかないませんでした。ちなみにこのときは学校が夏休みの時期で尾岱沼への路線バスは1日1便か2便。(かれこれ10年前の話なんで記憶がおぼろげ) 行きは羅臼から地元の人に尾岱沼の民宿まで車で乗せて行ってもらい翌日は観光船で野付湾をクルーズ。アザラシを見たり念願だったトドワラ訪問を果たし、その後はバスがないため尾岱沼から標津のバスターミナルまで歩き。本来なら右手に国後島を眺めながらの贅沢な徒歩旅になってたはずが悪天野郎の本分で空はどんよりどよどよ。国後の姿も形も見えず歩くのも嫌になってしまい「もうヒッチハイクしちゃおっかなー」とか思いながらの結構しんどかった徒歩旅となりました。でも途中ライダーさんと北海道特有のあいさつ(すれ違いざまに手を挙げるもの。北海道のライダー・チャリダー・徒歩さんなら一度は経験あるはず)に勇気づけられ無事標津まで歩きぬくことができました。
えらく話がそれてしまった。で、この日は国後の姿なんて全く期待できないほどの超曇天。つーか空が黒い・・・。空を眺めながら「やばいなぁ」と思う間もなく無情の雨が・・・。ここでも雨男ぶりを発揮してしまいました。元旦の朝からしかもこんな天気の悪い日に春国岱へ来る人なんているんだろうかと思いながら春国岱へと続く橋を渡っていると後ろかDSC_2667.JPGら車が2台追い越して行った。
八王子ナンバーと札幌ナンバーの2台だ。「あーよかった。俺以外にもいたわ。」と内心ちょっと安心して春国岱へと突入。木道を春国岱の核心へと歩いていこうとするとさっき追い抜いて行った人たちが早くもこっちに向かって帰ってきていらっしゃる。「そりゃそうだろな。寒いし・・・」と思いながらすれ違いざまに軽く挨拶。それからは完全な一人旅。天候は雨が降ったりやんだりの繰り返し。構想では今回の旅で本格的なデビューとなDSC_2741.JPGった僕の相棒ニコンD300で青い空のもと、春国岱の寂寥感あふれる景色を国後島を絡めながら撮る予定でしたがその日は全く話にならん天候でした。まぁ天気だけは何ともできんのでさっそく撮影開始。デジカメなんで色温度をいじったりしてこれまでの銀塩ではフィルター使ったりしないとできないことDSC_2620.JPGが簡単にできる。とってすぐ確認できるから改めてデジカメの便利さ加減を実感する。ところが小雨の中で撮影していてふと思った。我がD300,防塵・防滴処理がされているもののレンズは大丈夫なんだろうか??カメラは雨から守られてもレンズが守られてなけりゃ意味がないではないかと・・・。
また話はそれるが僕はこれまでコンパクトデジカメ(以後コンデジ)を1台お釈迦に、その後買ったデジカメも瀕死の状態にしてしまったことがある。いずれも原因は雨。もう時効だから嫁にばれるのを覚悟で書かしてもらうとお釈迦にしてしまった経緯はこうだ。山に行けども行けども雨・雨・雨の僕はデカくて重い一眼レフを持っていってもロクな写真が撮れない。(まぁ晴れてたにしてもろくな写真が撮れないのですDSC_2718.JPGが・・・)
けど旅の記録としての写真や一応頂上に立ったてことの証拠としての写真は撮りたいと思い嫁の持ってたコンデジを借りるようになりました。ポケットに入るし動画も撮れるし何よりも予想以上にきれいに撮れる。それまではデジカメに批判的な思いを持っていましたが写ればいい的記録写真ならこれで十分だと思うようになりました。そして今から2年前、CASIO EXILIMをポケットに忍ばせ僕の中での地獄登山ワースト3に入っている九州の祖母山へ向かったのであります。天気は当然雨。ゴアテックスのジャケットを着て雨ザーザー降りの中登山を決行し夕方ヘロヘロになって下山してまいりました。帰DSC_2725.JPGりの車の中で撮った写真を見ようと思いポケットの中のデジカメを手にしたところ「ん・・・??」。デジカメはびしょ濡れでありました。いくらゴアでも長時間雨に打たれてると縫い目とかから雨が浸みてくるんです。いくらシームテープでジッパーとか縫い目を処理してたって100%ではない。(と思う。)
ビビりながらスイッチをオンにしてもなーんの反応もない。正直顔が青ざめました。「嫁に殺される・・・」。これはもう知らん存ぜぬで押し切るしかない!!そうだそれしかない!!と激しく思いこみ次に中身のSDカードも確認。しっかりとびしょ濡れでありました・・・。そして僕は隣で運転している大学時代の後輩で山登りの相方K藤に「おめーのデジカメ貸せ!!」と鬼の一言。嫌がるK藤から無理やりデジカメを奪い取りびしょ濡れのSDをスロットイン。するとあら不思議、何の影響もなく中身の映像が確認できました。SDって結構荒っぽいことしても大丈夫なんだな~って学びました。そしてその4ヶ月後、学習能力のないアホな僕は再び過ちを繰り返してしまいます。7月下旬、北アルプス室堂から立山(雄山)を経由して薬師岳を縦走していた時のこと。天気はやはり雨。その2か月前に買ったパナソニックのLUMIX(通称きみまろズーム)をポケットに忍ばせて室堂を出発しました。一応前回の失敗を繰り返してはならんとジップロック(袋のタイプ)に入れていたのですが何回かポケットから出し入れしているうちにジップロックに入れずにポケットに入れてしまいました。そのうち雨足は強くなり写真なんか撮ってる場合ではなくなり気づいたのは五色が原の小屋に着いたとき。ホントはテン場でテント泊の予定だったのですがなんとテン場は雪の下。それ以前に雨土砂降りで「助けてくれー」って感じで小屋に吸い込まれていきました。予約なしの飛び込みでしたがびしょ濡れの僕ら(このときは弟と一緒に登ってました)を見た小屋の御主人は「荷物はそこに置いといていいからまずお風呂に入りなさい」とホントに涙が出そうなくらいのありがたいお言葉をおっしゃいました。てゆーか小屋泊まりの予定ではなかったので五色が原の小屋にお風呂があるなんてことは全く知らず、また山小屋で風呂に入れるなんて思ってもなかったので心の底から山小屋のありがたさってのを感じました。そして風呂に入り息を吹き返した僕は荷物を整理しつつ乾燥室にジャケットを入れたときに「そうそう、ポケットからデジカメ出さなきゃね~」とデジカメに手をかけたところ「あ・・・・・・」。顔がハニワ顔になってしまいました。電源は入るものの液晶が完全にいってしまい買ったばっかりでぶち壊した&同じミスを繰り返したという精神的ダメージは相当なもんでした。(後日修理に出したら2万くらいで直り悪夢の買い替えだけは避けることができました)ちなみに縦走のほうは翌日も雨で小屋で停滞を決意。予備日なんて設定してなかったため縦走は日程的に不可能となり泣く泣く来た道を室堂へと戻って行きました。
話を戻すとそんな経験をしてるもんでなるべく濡らさず、かつ濡れてもすぐにふき取るということを徹底しておりました。そんなこんなで気づけば4時間が過ぎておりました。予定ではあと6時間以上ここに滞在するつもりでした。しかしこの天気であと6時間はいくらなんでもきつすぎる。だいたいこんな天気じゃ夕日なんかでやしねぇ・・・。というわけで予定を切り上げ14時53分の便で厚床に向かうことにしました。それにしたって待ち時間はあと3時間余り1a07e5a9.jpeg。とりあえずネイチャーセンターまで戻り(ちなみにネイチャーセンターは正月は休み)玄関前のベンチで弁当を食べ小鳥の小道を一周したもののまだあと1時間。時間をもてあまし過ぎてバス停へと向かう。バス停でバスを待ってるとなんと太陽がちょろっと顔を出し始めた。
チキショー帰り際に出てきやがって~と思いながらも気持ちが完全に切れちゃってていまさら春国岱まで戻る気にもなれず出るかどうかわからん夕陽を待つ気にもなれず定刻ににやってきたバスに乗り込んでいきました。乗客はまたしても一人。そして厚床方面に走りだすと天気は急速に回復!「なんじゃこりゃー!!」とどこにもぶつけようのない怒りとやるせなさ。厚床駅に着いた時にはきれいな夕ada0711e.jpeg焼けとなっていました。ちなみにこの日一番きれいに撮れたのは厚床駅からみた夕日。はるばる川西から春国岱まで来たのにベストの写真は厚床駅からの景色という悲しい結果となってしまいました。    明後日から2月
だけどまだまだ続く!!!

2008年大みそか、この日はオール鈍行で根室を目指します。「はまなす」から札幌駅に降り立った僕は早速トイレで歯を磨きその後駅前のサンクスへ食料の調達。今回は経費削減のため食費は大幅カットの旅です。駅弁は帯広での豚丼のみと決めております。6時58分、滝川行き普通列車で滝川を目指します。窓の外は雪。年末に北海道に来ることは何度もあったけどなんだか今日は雪が多いような気がする。さて車内での僕はというと4人掛けのボックス席で足を伸ばしてのびのびモード。がらあき電車での自由な一人旅を満喫しておりました。僕の席の前には大学生っぽい5人組がにぎやかに談笑しておりました。「いやー楽しそうだなぁ」と彼らの話に耳を傾けてるとどうやら滝川で乗り換えて釧路まで行くもよう。「今日一日の旅の友ですな」と勝手に旅の友にする。今日は乗り換えが2回だけ。列車からぼーっと外を眺め寝たい時に寝て読みたい時に本を読むというスローな一人旅の醍醐味ともいえる至福の時を過ごすのだ。滝川までは岩見沢近辺で少し太陽が出たほかはひたすら雪だった。8時39分、定DSC_2432.JPG刻に滝川到着。乗り換えまDSC_2463.JPGで1時間ほどあるけど今までの経験上入線と同時に乗り込まないと席の確保が困難。入線時間を確認して駅前を散歩。いつもなら待合室のとこにあるうどん屋でうどんを食べてるところですが今回は我慢。駅前の元西友の周りをぶらぶらしてると皆さん雪かきをしていらっしゃる。除雪車も3台ほど稼働してました。さて釧路行の入線時間が近づいてきたので駅へと戻る。さっきの学生5人組も改札前で待ち構えてる。そして入線。予想通り1両編成の座席はあっという間に席があっという間にふさがる。しかし僕は順当に席ゲット。発車時間をわくわくしながら待つ。滝川発釧路行きのこの列車、利用するのは今回で3回目。初めてこの列車に乗ったのは今から15年前、まだ僕が高校生の頃。その年の春に初めての一人旅を決行し(18キップを使っての九州一周の旅。前述の京都―小倉ムーンライト立ちっぱなしの時)一人旅の魅力にはまった僕はその年の夏には18キップで北海道に行くことを決意したのでした。その時利用したこの列車のことは今でもよく覚えてます。ず~っと山、原野、酪農地を走っていて帯広近くでやっと普通の家々が見えてきたときになんだか安心したこと。その後、原野みたいなところばかりの景色からいきなり僕の目に飛び込んできた音別付近の太平洋に心の底から驚いたこと。真夏だったのに釧路の街は肌寒くてびっくりしたことなど。特に自分的には音別付近でいきなり目の前に開けた太平洋の景色ははっきりと目に焼き付いています。前夜の夜行快速では寝ずにずっと窓の外を見ていたこと、ずっと続く原野の景色、そして帯広で食べた豚丼でお腹が満腹だったこと・・・等などいろんな状況が重なってうつらうつらしてた僕はこの原野の景色がず~っと釧路まで続くんだろうなと思っていた。どの辺を走っているのかも全然気にしてなくてずっと内陸部を走ってるもんだと思ってた寝ぼけ眼に飛び込んできた海はほんとに意表を突かれたし、なんだか寂寥感あふれる北の海は僕の心にドドーンと突き刺さった。北海道にはまったのもこの列車に乗って、見て、そして感じた北海道の景色が大きく影響してるんだと思う。

そんなこんなでこの思い出深い列車は滝川を定時に出発。のんびりと釧路を目指していきます。まず最初のポイントは富良野。ここで1両増結するのですがここまでが結構込み合う。年末ということもあるのだろうけどまぁ人が多い。最初から2両編成でもいいんじゃないかと思うけど車両の運用とかいろんな事情があるんだろうなとか考えながら窓の景色を楽しむ。相変わらず雪が降り続いてる。そして富良野に到着し一両増結。富良野ではかなり人が降りるし1両増結するんで車内はかなりゆったりする。2両になった列車は次のポイント帯広に向け出発。途中凍りついた金山湖を眺めながら僕が勝手に「関所」と決めてる落合に到着。このころになると列車は雪を巻き上げながら走る。ここ落合駅では列DSC_2484.JPG車待ち合わせでしばらく停車。列車から降り跨線橋をわたり駅前に出る。跨線橋の登り口には雪が吹き込んでこないようにブルーシートがかぶせてある。列車のすれ違いも終わりいよいよ狩勝峠へ向け出発。長い長いトンネルを越え狩勝峠を下る。天気はやっぱり雪。それでも新得駅が近づいてくると青空と太陽が顔を出してきた。(それでも新得を過ぎると再び太陽は引っ込んだ。)
新得を出て第2のポイント帯広に到着。ここで昼休憩。帯広と言えば豚丼。もう何度となく食べてる定番の駅弁だ。今回も例のヒモを引っ張ると高温の蒸気で温かくなる豚丼に舌鼓。いやー「帯広に来たー!!」って感じだなぁ。さてそんな帯広ともお別れして列車は釧路に向けて走り出す。途中池田で今まで気づかなかった観覧車に気づく。いつの間にできたんだろ??僕がこれまで気付かなかっただけか??そういやここんとこ池田を通る時は周りが暗いときばっかりだったからなぁ。それにしても近年いろんなとこで観覧車多過ぎ。梅田のHEPの観覧車ができたときには「すごいとこに観覧車作るなぁ」って思ったけど西鹿児島(現・鹿児島中央駅)駅のとこにもできたし名古屋の栄の辺にもできたし道頓堀にもできた。そういや富良野と美瑛の間にある深山峠にも観覧車出来るらしい。正直あの場所にそんなもんは到底似合わん。つーかあの場所に観覧車が建った所を想像するだけで非常にショッキングだ。僕はよそ者の人間だけどあの観覧車建設はやめてほしい。あんなところに観覧車作ってもそんなに繁盛するのか疑問だ。都会から来る観光客が求めているものはそんなものでDSC_2577.JPGはないと僕は思う。
まぁそれはいいとして列車は釧路を目指す。日暮れの早い冬の北海道では午後3時くらいから夕方の様相を見せはじめる。池田を出たあたりからなんだか景色が夕焼チックになってくる。尺別、音別を過ぎ古瀬に到着。ここで特急の通過待ち。ここは牛山隆信さんの秘境駅にも選ばれてる駅で僕もお気に入りの駅だ。この駅の醸し出す(というより周りの環境からにじみ出る?)寂しさ加減がなんとも言えん。無事札幌行きスーパーおおぞら12号も通り過ぎ再び列車は真っ暗な原野の中を走りだす。しかし神々しいまでの原野の風景も大楽毛を過ぎ寄り添ってはしる国道38号のデッカイ看板が目立ちはじめると少々俗っぽくなる。そして17時33分、新富士駅に到着。あと一駅で滝川からの8時間に及ぶ雄大でスローで心安らぐ旅が終わる。その後、根室までいくんだけどそれでもなんだか「終わるんだなぁ」と何とも切ない気持になる。今回もとても有意義な時間を過ごすことができた。長距離鈍行列車がどんどん姿を消す昨今だけどこの列車はずっとずっと残ってほしいと思う。できれば自分の子供にもこの列車で北海道を旅させたい。我が息子、まだ先週でやっと2歳デス。一人旅できるようになるまでがんばれ!!滝川発の釧路行き鈍行列車。
釧路到着後は和商市場の横っちょのローソンで食料調達。その後根室の行き列車に乗り込む。札幌からの大学生風5人組もしっかりついてきている。列車内では弁当を食べリラックス。まぁそれまでも8時間ほどリラックスしてたんだけどお腹もふくらみ8時間の大仕事もやり遂げたということもありうつらうつら。別保から厚岸までは完全に爆睡。その後茶内から先は駅到着の車内放送ごとに目を覚ます。そして姉別の手前でこの旅初の鹿ピッピー。鹿ピッピーとは僕が勝手作った言葉で線路上にいるシカを追い払うための警笛のこと。ピッピーって鳴らしながらブレーキがかかったりすると「う~ん北海道だねぇ。」と自分が北海道にいることを再認識する。その後列車は順調に根室に向かい僕はというと夢と現を行ったり来たりのなんとも言えない幸福な時間を過ごし(でもなんで電車に乗ってるときの居眠りってあんなに気持ちいいんだろう)とうとう終点根室に到着。前日の仙台からの列車乗りっぱなし旅の一時休戦。列車から降り改札を抜けた人たちは三々五々に散っていく。僕はこの日は民宿泊まりだったのですがひょっとして大学生風5人組みと同じとこかなと思ったりもしたけどどうやら違うとこみたいでした。僕が泊まった宿は駅から10分ほど歩いたところにある「民宿 たかの」さん。旅人の宿という感じのいい感じの民宿です。宿に着き早速お風呂でさっぱりした後はごろごろしながらテレビ。大みそかって面白いのいっぱいやってて楽しいな~。1年前はムーンライトえちごの車内で年越し。その前は屋久島の宮之浦岳に登ってて新高塚小屋で年越し。久々にテレビのあるところでの年越しだった。番組的にはK1見てたんですが「きんにく万太郎」って人がやってる最中にマスクがずれてボブサップにボコボコにやられてた。そんなんでいーのかっていう試合でした。そんなこんなで3日ぶりの布団での就寝。ぐっすり寝れました。   
 
もうすぐ2月だけどまだまだ続く!!!

22時42分、急行「はまなす」は札幌に向け出発。通路やデッキには席にありつけなかった人たちがあふれておりました。函館で降りる人もいるのだろうけどほとんどの人が札幌まで行くんだろうなぁ。いやー修行だな、これは。僕もその昔、初めてひとり旅に出た16才の春休みにムーンライト九州のデッキで京都から小倉までほぼ立ちっぱなしという地獄のような経験をしたことがある。当時の夜行快速は現在と違い全車指定席ではなく(ムーンライトえちごだけは全席指定。ちなみにムーンライトながらはまだ大垣夜行と呼ばれていて全席自由。ん?グリーン席はあったかな??ま、細かいことは置いといて18キップのシーズンともなると始発の品川駅では座席確保のために長~い行列ができたもんだ)広島の田舎もんだった僕は「あんな深夜に走る電車なんてガラガラに違いない!!そうに違いない!!」と信じて疑わず発車ギリギリまで京都の街をうろうろしておりました。発車間際にホームに向かった僕は通勤ラッシュのような列車を見て愕然。列車には立ってる人が通路に入りきらずデッキにまでもあふれておりました。なんとかデッキには潜り込めたものの完全なるおしくらまんじゅう状態。途中岡山あたりで「荷物を一か所に集めて空いたスペースに15分交替で座ろう!!」と言う人が現れてみんなで「そうしようそうしよう」となったものの如何せん人が多すぎてなかなか順番が回ってこない。で、2回くらい座ってわずかに寝たものの小倉に着いた頃はヘロヘロ。途中で耐えきれなくなって厚狭で降りた人も何人かいた。そんな経験もしてたもんで立ってる人のしんどさってもんがヒシヒシと伝わって参りました。しかし無事座DSC_2397.JPG席を確保した僕はお構いなしにそっこー爆睡モード。函館までの間で寝ぼけまなこに記憶があるのは蟹田の運転停車、青函トンネルのいちばん深いとこ(トンネルのライトが緑に変わるとこ)くらいで後は気持ちよく寝ておりました。AM1時、函館到着。ここで青森からの電気機関車からDD51にバトンタッチ。いつもなら機関車交換を見に外へ出るところ「今日は眠い。寝よ・・・」ということで車内でまどろんでいたもののふと外を見ると結構な数の人たちが機関車方向へ歩いていらっしゃる。それを見ると「うむむっ、オレも行かねば!!」と変な焦りを感じカメラ持参で結局お外へ。ひとしきり撮影すると心は安らぎ再び夢の中へ。進行方向を変えた列車は札幌めざし函館を出発。途中長万部に停車したことなど全く気付かず東室蘭、苫小牧、南千歳と停車駅ごとに目は覚めるものの頭は完全におやすみ状態。札幌に到着するまでホントに気持ちよく眠ることができました。そして定刻のAM6時7分、終点札幌に到着。2008年最後の朝を札幌駅で迎えるとこととなりました。  続く!!

予定より時間早く着いた仙台駅。とりあえずこれから乗る快速南三陸1号の発車するホームへ。発車までまだ1時間以上あるというのにすでにホームには行列が。皆さん大きな荷物を抱えてる。いやー年末だなぁ~。列車が入線するころになると行列もかなり長くなってきた。「座れるかな~」と少し心配になったころついに列車入線。皆さんどんどん列車へなだれ込んでいく。僕もウリャーっとなだれ込み席GET。1人掛けの向かいあわせの席。立ってる人もそこそこいるなか定刻に仙台駅出発。仙台っちゅう街は東北線で北に向かうと急にのんびりした景色になる。1つとなりの東仙台を越えると広~い田んぼが広がってくる。仙石線の線路と付きつ離れつをくり返しながら小牛田に到着。ここから未乗線の石巻線へ。これまた広~い田んぼの中を列車は進み前谷地へ。ここで女川方面の石巻線と別れ気仙沼線へと列車はすすむ。気仙沼で乗り換え大船渡線で盛へ。ここからはJRではなく3セクの三陸鉄道南リアス線へ。JR線ではないため僕の持っている「北海道東日本パス」では乗れないため釜石までの乗車券を購入。18キップの人は1割引の割引切符で乗れる旨の張り紙を発見。窓口の人に「北海道&東日本パスじゃダメっすか?」と聞いてみるもののやっぱり駄目だった。南リアス線で釜石に向け出発。とてもいい天気だ。ここでふとあることに気づいた。仙台からず~っと同じ列車に乗りついでいる面々が5,6人いることに。みんな「鉄」分たっぷりな雰囲気を醸し出してる。ローカル線乗り継ぎの旅をしてるとよくある事で運転本数が少ないもんだから乗りつぶしプランが必然的にかぶってくるんですよね。昔、初めて北海道に行ったとき新宿から札幌までず~っと同じ列車だった人がいた。新宿からムーンライトえちご、その後日本海を北上し津軽海峡を越え、函館からは今はなき夜行快速「ミッドナイト」で札幌まで行った時のことである。山形の酒田あたりで「この人ひょっとして北海道までこのまま行くのかも」と思ってたらホントにそうだった。向こうもその辺りから僕の存在に気づいていたそうだ。夜行快速「ミッドナイト」で札幌に向かっている途中、長時間停車する長万部のホームをうろうろしているときにお話しする機会があってそんな話をした記憶がある。深夜2時くらいのことだったかなぁ。あのころはいろんな夜行列車があった。いまやミッドナイトだけでなく夜行の網走行オホーツク、釧路行おおぞら(廃止されるときはまりも)、稚内行利尻。宿代を浮かすために乗り放題の切符で何度も乗ったなぁ~。話はまたまた横にそれたけど彼らの狙いは大体分かる。山田線・茂市駅から分岐する岩泉線だ。全線を走破する列車は1日3本しかないという乗りつぶしを目指す者にとっては超難関の路線なんである。日本の山の世界で例えるなら北アルプスの槍穂縦走の大キレットクラスですかねぇ。まぁ地元民以外にとっては日本有数の乗車難関路線なのである。そんな彼らと順当に(?)乗りつぎ山田線宮古駅へ。そして15:02発岩泉線直通岩泉行きに乗車。もちろん彼らも乗っている。20分ほど列車に揺られ茂市駅へ。ここで岩泉線は山田線と分岐する。20分ほど停車するので皆様下車して駅の写真撮ったり列車の写真を撮ったり思い思いに過ごす。だが僕はこの駅で岩泉行きの列車からフェイドアウトする。このまま岩泉まで乗っちゃうと今日中に青森まで着かなくなっちゃうのである。最初彼らは60リットルのザックを背負い下車する僕を「別に車内に荷物置きっぱなしでも誰も盗りやしねーよ」って目で僕を見てましたが発車間際になっても列車に戻らずホームで列車を眺めてる僕に「そろそろ乗らねーとやばいぞ」という表情に変わりそしてドアが閉まった列車を見送る僕を「何故だ!?何故ここで降りるだ!?何のためにここまで来たんだ君は!!」みたいな顔して岩泉へ向け旅立って行きました。そりゃそうだろな~って僕も思うよ。北海道に向かうってことを知らなければどう考えたって岩泉に行かない理由がわからんだろうなって思う。彼らからすりゃ僕のこの行動は不可解極まりないって感じなんだろうな~みたいなことを一人取り残された茂一駅のホームで考えてました。その後あとから来た盛岡行の列車に乗り込み盛岡へ。意外に込んでて驚いたいわて銀河鉄道を乗り継ぎ青森駅へDSC_2353.JPG。次に乗り継ぐ夜行急行「はまなす」の発車時間まで1時間以上あるというのにホームには長蛇の列が。ここから乗る人は9割がた札幌まで乗りとおすことが予想されるためここは是が非でも席を確保しないと札幌までの7時間半の辛く苦しい地獄旅となってしまう。列車入線時間が近づくと共に長蛇の列はどんどん長くなる。そして列車入線。皆さん列車に続々と乗り込む。僕はというと見事に席GET。やっぱ一人旅だと席も確保しやすいわー。席を確保した後は発車までの撮影タイム。今でこそ健在の貧乏旅行者の強い味方&旅情たっぷりの客車急行はまなすも北海道新幹線が開通してしまえば間違いなく消えてしまう運命。幾度となくお世
話になったこの列車を今一度シャッターに納めておきたかったのであります。ちなみにこれまで僕はニコンのフィルム1眼レフカメラ「U」を愛用しておりました。超入門者用の1眼レフですがこいつとは8年寄り添いいろんな所に行きました。デジカメ全盛の昨今においても「へっ、デジカメなんて所詮電化製品よ。カメラはやっぱり銀塩に限る!!」と本気で思ってたのですが年々縮小されるフィルム売り場、勢力をますます増大させるデジカメ売り場を見るにつけ「デジイチってどんなんやろ??」と気になっていたのも確か。コンパクトデジカメは持っていて便利さは実感しておりました。そして昨年10月、D300を購入しました。ホントを言うとDXフォーマットではなくフルサイズのD700が欲しかったのですがさすがに25万を超えるカメラに嫁のOKは出ずD300を購入と相成りました。そして今回の旅は我がD300の本格的なデビュー旅なのです。これまでは近場での練習撮影ばかりでしたが今回こいつを野に放つ時がやってきたのです!!青森駅でのはまなすも思い残すなく撮影することができました。   と、こんな感じで青森までやってきました。そしていよいよ北海道へ。続きはまた今度!!4e7677c5.jpeg
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1977/09/23
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さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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