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2008年12月23日
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2008年大みそか、この日はオール鈍行で根室を目指します。「はまなす」から札幌駅に降り立った僕は早速トイレで歯を磨きその後駅前のサンクスへ食料の調達。今回は経費削減のため食費は大幅カットの旅です。駅弁は帯広での豚丼のみと決めております。6時58分、滝川行き普通列車で滝川を目指します。窓の外は雪。年末に北海道に来ることは何度もあったけどなんだか今日は雪が多いような気がする。さて車内での僕はというと4人掛けのボックス席で足を伸ばしてのびのびモード。がらあき電車での自由な一人旅を満喫しておりました。僕の席の前には大学生っぽい5人組がにぎやかに談笑しておりました。「いやー楽しそうだなぁ」と彼らの話に耳を傾けてるとどうやら滝川で乗り換えて釧路まで行くもよう。「今日一日の旅の友ですな」と勝手に旅の友にする。今日は乗り換えが2回だけ。列車からぼーっと外を眺め寝たい時に寝て読みたい時に本を読むというスローな一人旅の醍醐味ともいえる至福の時を過ごすのだ。滝川までは岩見沢近辺で少し太陽が出たほかはひたすら雪だった。8時39分、定DSC_2432.JPG刻に滝川到着。乗り換えまDSC_2463.JPGで1時間ほどあるけど今までの経験上入線と同時に乗り込まないと席の確保が困難。入線時間を確認して駅前を散歩。いつもなら待合室のとこにあるうどん屋でうどんを食べてるところですが今回は我慢。駅前の元西友の周りをぶらぶらしてると皆さん雪かきをしていらっしゃる。除雪車も3台ほど稼働してました。さて釧路行の入線時間が近づいてきたので駅へと戻る。さっきの学生5人組も改札前で待ち構えてる。そして入線。予想通り1両編成の座席はあっという間に席があっという間にふさがる。しかし僕は順当に席ゲット。発車時間をわくわくしながら待つ。滝川発釧路行きのこの列車、利用するのは今回で3回目。初めてこの列車に乗ったのは今から15年前、まだ僕が高校生の頃。その年の春に初めての一人旅を決行し(18キップを使っての九州一周の旅。前述の京都―小倉ムーンライト立ちっぱなしの時)一人旅の魅力にはまった僕はその年の夏には18キップで北海道に行くことを決意したのでした。その時利用したこの列車のことは今でもよく覚えてます。ず~っと山、原野、酪農地を走っていて帯広近くでやっと普通の家々が見えてきたときになんだか安心したこと。その後、原野みたいなところばかりの景色からいきなり僕の目に飛び込んできた音別付近の太平洋に心の底から驚いたこと。真夏だったのに釧路の街は肌寒くてびっくりしたことなど。特に自分的には音別付近でいきなり目の前に開けた太平洋の景色ははっきりと目に焼き付いています。前夜の夜行快速では寝ずにずっと窓の外を見ていたこと、ずっと続く原野の景色、そして帯広で食べた豚丼でお腹が満腹だったこと・・・等などいろんな状況が重なってうつらうつらしてた僕はこの原野の景色がず~っと釧路まで続くんだろうなと思っていた。どの辺を走っているのかも全然気にしてなくてずっと内陸部を走ってるもんだと思ってた寝ぼけ眼に飛び込んできた海はほんとに意表を突かれたし、なんだか寂寥感あふれる北の海は僕の心にドドーンと突き刺さった。北海道にはまったのもこの列車に乗って、見て、そして感じた北海道の景色が大きく影響してるんだと思う。

そんなこんなでこの思い出深い列車は滝川を定時に出発。のんびりと釧路を目指していきます。まず最初のポイントは富良野。ここで1両増結するのですがここまでが結構込み合う。年末ということもあるのだろうけどまぁ人が多い。最初から2両編成でもいいんじゃないかと思うけど車両の運用とかいろんな事情があるんだろうなとか考えながら窓の景色を楽しむ。相変わらず雪が降り続いてる。そして富良野に到着し一両増結。富良野ではかなり人が降りるし1両増結するんで車内はかなりゆったりする。2両になった列車は次のポイント帯広に向け出発。途中凍りついた金山湖を眺めながら僕が勝手に「関所」と決めてる落合に到着。このころになると列車は雪を巻き上げながら走る。ここ落合駅では列DSC_2484.JPG車待ち合わせでしばらく停車。列車から降り跨線橋をわたり駅前に出る。跨線橋の登り口には雪が吹き込んでこないようにブルーシートがかぶせてある。列車のすれ違いも終わりいよいよ狩勝峠へ向け出発。長い長いトンネルを越え狩勝峠を下る。天気はやっぱり雪。それでも新得駅が近づいてくると青空と太陽が顔を出してきた。(それでも新得を過ぎると再び太陽は引っ込んだ。)
新得を出て第2のポイント帯広に到着。ここで昼休憩。帯広と言えば豚丼。もう何度となく食べてる定番の駅弁だ。今回も例のヒモを引っ張ると高温の蒸気で温かくなる豚丼に舌鼓。いやー「帯広に来たー!!」って感じだなぁ。さてそんな帯広ともお別れして列車は釧路に向けて走り出す。途中池田で今まで気づかなかった観覧車に気づく。いつの間にできたんだろ??僕がこれまで気付かなかっただけか??そういやここんとこ池田を通る時は周りが暗いときばっかりだったからなぁ。それにしても近年いろんなとこで観覧車多過ぎ。梅田のHEPの観覧車ができたときには「すごいとこに観覧車作るなぁ」って思ったけど西鹿児島(現・鹿児島中央駅)駅のとこにもできたし名古屋の栄の辺にもできたし道頓堀にもできた。そういや富良野と美瑛の間にある深山峠にも観覧車出来るらしい。正直あの場所にそんなもんは到底似合わん。つーかあの場所に観覧車が建った所を想像するだけで非常にショッキングだ。僕はよそ者の人間だけどあの観覧車建設はやめてほしい。あんなところに観覧車作ってもそんなに繁盛するのか疑問だ。都会から来る観光客が求めているものはそんなものでDSC_2577.JPGはないと僕は思う。
まぁそれはいいとして列車は釧路を目指す。日暮れの早い冬の北海道では午後3時くらいから夕方の様相を見せはじめる。池田を出たあたりからなんだか景色が夕焼チックになってくる。尺別、音別を過ぎ古瀬に到着。ここで特急の通過待ち。ここは牛山隆信さんの秘境駅にも選ばれてる駅で僕もお気に入りの駅だ。この駅の醸し出す(というより周りの環境からにじみ出る?)寂しさ加減がなんとも言えん。無事札幌行きスーパーおおぞら12号も通り過ぎ再び列車は真っ暗な原野の中を走りだす。しかし神々しいまでの原野の風景も大楽毛を過ぎ寄り添ってはしる国道38号のデッカイ看板が目立ちはじめると少々俗っぽくなる。そして17時33分、新富士駅に到着。あと一駅で滝川からの8時間に及ぶ雄大でスローで心安らぐ旅が終わる。その後、根室までいくんだけどそれでもなんだか「終わるんだなぁ」と何とも切ない気持になる。今回もとても有意義な時間を過ごすことができた。長距離鈍行列車がどんどん姿を消す昨今だけどこの列車はずっとずっと残ってほしいと思う。できれば自分の子供にもこの列車で北海道を旅させたい。我が息子、まだ先週でやっと2歳デス。一人旅できるようになるまでがんばれ!!滝川発の釧路行き鈍行列車。
釧路到着後は和商市場の横っちょのローソンで食料調達。その後根室の行き列車に乗り込む。札幌からの大学生風5人組もしっかりついてきている。列車内では弁当を食べリラックス。まぁそれまでも8時間ほどリラックスしてたんだけどお腹もふくらみ8時間の大仕事もやり遂げたということもありうつらうつら。別保から厚岸までは完全に爆睡。その後茶内から先は駅到着の車内放送ごとに目を覚ます。そして姉別の手前でこの旅初の鹿ピッピー。鹿ピッピーとは僕が勝手作った言葉で線路上にいるシカを追い払うための警笛のこと。ピッピーって鳴らしながらブレーキがかかったりすると「う~ん北海道だねぇ。」と自分が北海道にいることを再認識する。その後列車は順調に根室に向かい僕はというと夢と現を行ったり来たりのなんとも言えない幸福な時間を過ごし(でもなんで電車に乗ってるときの居眠りってあんなに気持ちいいんだろう)とうとう終点根室に到着。前日の仙台からの列車乗りっぱなし旅の一時休戦。列車から降り改札を抜けた人たちは三々五々に散っていく。僕はこの日は民宿泊まりだったのですがひょっとして大学生風5人組みと同じとこかなと思ったりもしたけどどうやら違うとこみたいでした。僕が泊まった宿は駅から10分ほど歩いたところにある「民宿 たかの」さん。旅人の宿という感じのいい感じの民宿です。宿に着き早速お風呂でさっぱりした後はごろごろしながらテレビ。大みそかって面白いのいっぱいやってて楽しいな~。1年前はムーンライトえちごの車内で年越し。その前は屋久島の宮之浦岳に登ってて新高塚小屋で年越し。久々にテレビのあるところでの年越しだった。番組的にはK1見てたんですが「きんにく万太郎」って人がやってる最中にマスクがずれてボブサップにボコボコにやられてた。そんなんでいーのかっていう試合でした。そんなこんなで3日ぶりの布団での就寝。ぐっすり寝れました。   
 
もうすぐ2月だけどまだまだ続く!!!
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22時42分、急行「はまなす」は札幌に向け出発。通路やデッキには席にありつけなかった人たちがあふれておりました。函館で降りる人もいるのだろうけどほとんどの人が札幌まで行くんだろうなぁ。いやー修行だな、これは。僕もその昔、初めてひとり旅に出た16才の春休みにムーンライト九州のデッキで京都から小倉までほぼ立ちっぱなしという地獄のような経験をしたことがある。当時の夜行快速は現在と違い全車指定席ではなく(ムーンライトえちごだけは全席指定。ちなみにムーンライトながらはまだ大垣夜行と呼ばれていて全席自由。ん?グリーン席はあったかな??ま、細かいことは置いといて18キップのシーズンともなると始発の品川駅では座席確保のために長~い行列ができたもんだ)広島の田舎もんだった僕は「あんな深夜に走る電車なんてガラガラに違いない!!そうに違いない!!」と信じて疑わず発車ギリギリまで京都の街をうろうろしておりました。発車間際にホームに向かった僕は通勤ラッシュのような列車を見て愕然。列車には立ってる人が通路に入りきらずデッキにまでもあふれておりました。なんとかデッキには潜り込めたものの完全なるおしくらまんじゅう状態。途中岡山あたりで「荷物を一か所に集めて空いたスペースに15分交替で座ろう!!」と言う人が現れてみんなで「そうしようそうしよう」となったものの如何せん人が多すぎてなかなか順番が回ってこない。で、2回くらい座ってわずかに寝たものの小倉に着いた頃はヘロヘロ。途中で耐えきれなくなって厚狭で降りた人も何人かいた。そんな経験もしてたもんで立ってる人のしんどさってもんがヒシヒシと伝わって参りました。しかし無事座DSC_2397.JPG席を確保した僕はお構いなしにそっこー爆睡モード。函館までの間で寝ぼけまなこに記憶があるのは蟹田の運転停車、青函トンネルのいちばん深いとこ(トンネルのライトが緑に変わるとこ)くらいで後は気持ちよく寝ておりました。AM1時、函館到着。ここで青森からの電気機関車からDD51にバトンタッチ。いつもなら機関車交換を見に外へ出るところ「今日は眠い。寝よ・・・」ということで車内でまどろんでいたもののふと外を見ると結構な数の人たちが機関車方向へ歩いていらっしゃる。それを見ると「うむむっ、オレも行かねば!!」と変な焦りを感じカメラ持参で結局お外へ。ひとしきり撮影すると心は安らぎ再び夢の中へ。進行方向を変えた列車は札幌めざし函館を出発。途中長万部に停車したことなど全く気付かず東室蘭、苫小牧、南千歳と停車駅ごとに目は覚めるものの頭は完全におやすみ状態。札幌に到着するまでホントに気持ちよく眠ることができました。そして定刻のAM6時7分、終点札幌に到着。2008年最後の朝を札幌駅で迎えるとこととなりました。  続く!!

予定より時間早く着いた仙台駅。とりあえずこれから乗る快速南三陸1号の発車するホームへ。発車までまだ1時間以上あるというのにすでにホームには行列が。皆さん大きな荷物を抱えてる。いやー年末だなぁ~。列車が入線するころになると行列もかなり長くなってきた。「座れるかな~」と少し心配になったころついに列車入線。皆さんどんどん列車へなだれ込んでいく。僕もウリャーっとなだれ込み席GET。1人掛けの向かいあわせの席。立ってる人もそこそこいるなか定刻に仙台駅出発。仙台っちゅう街は東北線で北に向かうと急にのんびりした景色になる。1つとなりの東仙台を越えると広~い田んぼが広がってくる。仙石線の線路と付きつ離れつをくり返しながら小牛田に到着。ここから未乗線の石巻線へ。これまた広~い田んぼの中を列車は進み前谷地へ。ここで女川方面の石巻線と別れ気仙沼線へと列車はすすむ。気仙沼で乗り換え大船渡線で盛へ。ここからはJRではなく3セクの三陸鉄道南リアス線へ。JR線ではないため僕の持っている「北海道東日本パス」では乗れないため釜石までの乗車券を購入。18キップの人は1割引の割引切符で乗れる旨の張り紙を発見。窓口の人に「北海道&東日本パスじゃダメっすか?」と聞いてみるもののやっぱり駄目だった。南リアス線で釜石に向け出発。とてもいい天気だ。ここでふとあることに気づいた。仙台からず~っと同じ列車に乗りついでいる面々が5,6人いることに。みんな「鉄」分たっぷりな雰囲気を醸し出してる。ローカル線乗り継ぎの旅をしてるとよくある事で運転本数が少ないもんだから乗りつぶしプランが必然的にかぶってくるんですよね。昔、初めて北海道に行ったとき新宿から札幌までず~っと同じ列車だった人がいた。新宿からムーンライトえちご、その後日本海を北上し津軽海峡を越え、函館からは今はなき夜行快速「ミッドナイト」で札幌まで行った時のことである。山形の酒田あたりで「この人ひょっとして北海道までこのまま行くのかも」と思ってたらホントにそうだった。向こうもその辺りから僕の存在に気づいていたそうだ。夜行快速「ミッドナイト」で札幌に向かっている途中、長時間停車する長万部のホームをうろうろしているときにお話しする機会があってそんな話をした記憶がある。深夜2時くらいのことだったかなぁ。あのころはいろんな夜行列車があった。いまやミッドナイトだけでなく夜行の網走行オホーツク、釧路行おおぞら(廃止されるときはまりも)、稚内行利尻。宿代を浮かすために乗り放題の切符で何度も乗ったなぁ~。話はまたまた横にそれたけど彼らの狙いは大体分かる。山田線・茂市駅から分岐する岩泉線だ。全線を走破する列車は1日3本しかないという乗りつぶしを目指す者にとっては超難関の路線なんである。日本の山の世界で例えるなら北アルプスの槍穂縦走の大キレットクラスですかねぇ。まぁ地元民以外にとっては日本有数の乗車難関路線なのである。そんな彼らと順当に(?)乗りつぎ山田線宮古駅へ。そして15:02発岩泉線直通岩泉行きに乗車。もちろん彼らも乗っている。20分ほど列車に揺られ茂市駅へ。ここで岩泉線は山田線と分岐する。20分ほど停車するので皆様下車して駅の写真撮ったり列車の写真を撮ったり思い思いに過ごす。だが僕はこの駅で岩泉行きの列車からフェイドアウトする。このまま岩泉まで乗っちゃうと今日中に青森まで着かなくなっちゃうのである。最初彼らは60リットルのザックを背負い下車する僕を「別に車内に荷物置きっぱなしでも誰も盗りやしねーよ」って目で僕を見てましたが発車間際になっても列車に戻らずホームで列車を眺めてる僕に「そろそろ乗らねーとやばいぞ」という表情に変わりそしてドアが閉まった列車を見送る僕を「何故だ!?何故ここで降りるだ!?何のためにここまで来たんだ君は!!」みたいな顔して岩泉へ向け旅立って行きました。そりゃそうだろな~って僕も思うよ。北海道に向かうってことを知らなければどう考えたって岩泉に行かない理由がわからんだろうなって思う。彼らからすりゃ僕のこの行動は不可解極まりないって感じなんだろうな~みたいなことを一人取り残された茂一駅のホームで考えてました。その後あとから来た盛岡行の列車に乗り込み盛岡へ。意外に込んでて驚いたいわて銀河鉄道を乗り継ぎ青森駅へDSC_2353.JPG。次に乗り継ぐ夜行急行「はまなす」の発車時間まで1時間以上あるというのにホームには長蛇の列が。ここから乗る人は9割がた札幌まで乗りとおすことが予想されるためここは是が非でも席を確保しないと札幌までの7時間半の辛く苦しい地獄旅となってしまう。列車入線時間が近づくと共に長蛇の列はどんどん長くなる。そして列車入線。皆さん列車に続々と乗り込む。僕はというと見事に席GET。やっぱ一人旅だと席も確保しやすいわー。席を確保した後は発車までの撮影タイム。今でこそ健在の貧乏旅行者の強い味方&旅情たっぷりの客車急行はまなすも北海道新幹線が開通してしまえば間違いなく消えてしまう運命。幾度となくお世
話になったこの列車を今一度シャッターに納めておきたかったのであります。ちなみにこれまで僕はニコンのフィルム1眼レフカメラ「U」を愛用しておりました。超入門者用の1眼レフですがこいつとは8年寄り添いいろんな所に行きました。デジカメ全盛の昨今においても「へっ、デジカメなんて所詮電化製品よ。カメラはやっぱり銀塩に限る!!」と本気で思ってたのですが年々縮小されるフィルム売り場、勢力をますます増大させるデジカメ売り場を見るにつけ「デジイチってどんなんやろ??」と気になっていたのも確か。コンパクトデジカメは持っていて便利さは実感しておりました。そして昨年10月、D300を購入しました。ホントを言うとDXフォーマットではなくフルサイズのD700が欲しかったのですがさすがに25万を超えるカメラに嫁のOKは出ずD300を購入と相成りました。そして今回の旅は我がD300の本格的なデビュー旅なのです。これまでは近場での練習撮影ばかりでしたが今回こいつを野に放つ時がやってきたのです!!青森駅でのはまなすも思い残すなく撮影することができました。   と、こんな感じで青森までやってきました。そしていよいよ北海道へ。続きはまた今度!!4e7677c5.jpeg

土曜日です。土曜の夜と言えばサンテレビ「走る男」&「水曜どうでしょう」。いつもこれ見ながらビールにつまみ。そして酔っ払ってそのまま寝るっつーのが去年までのいつもの土曜。しかし去年の年末の健康診断で1年間で体重6キロ増の体重70キロ越えを達成していたことが判明。それ以降夜のビール&つまみは自粛してます。ところで年末から年始にかけて北海道行ってました。8年連続21回目の北海道です。16才の夏に初めて行って以来、僕の心の中にはいつも北海道の風景が活き活きと色付いております。ところで僕の旅の基本スタイルは貧乏バックパッカー型。社会人になるまでは飛行機なんかで行ったことはなく常に「青春18きっぷ」。飛行機を使い始めたのはここ2,3年のこと。そして今回は夜行バス、JRの「北海道東日本パス」、フェリー使用という僕本来の形の旅でした。

12月29日夜、仙台に向け一人出発!!(嫁は子ども連れて実家)  てゆーかこの日、ホントは仕事休みの予定でありました。2ヶ月前から会社の人に「12月29日は休ませてくれぇ~。その代わりその間2倍気合い入れて働くからよぅ~」と言い続けていたものの立場上どーしても休めなくなってしまいおかげで「年末は山と北海道!!」プロジェクトは山の方がブッ飛んでしまいました。去年は年末は北アルプス蝶ヶ岳(強烈な低気圧のため途中の槍見台で撤退)&北海道という理想通りの休みだったのに・・・。ところで今回なぜ故夜行バスで仙台かというと日本百名山完登とともに人生の目標であるJR全線完乗のためであります。つーかこっちの方はほとんど終わっていて残すところは石巻線、気仙沼線、大船渡線、山田線、岩泉線の三陸の5線。しかし西日本の人間的にはなかなかつぶしにくいエリアであります。それでも乗りつぶそうと思えば3日もあれば乗りつぶせます。JR東日本の3連休パスとか使って乗りつぶしオンリーの旅に出りゃすぐ乗れます。学生時代は北海道なり九州なり旅に出るときにはそのついでに乗ったことのない路線を乗りつぶし、それ以外にもただ乗りつぶす旅にも出てました。でもなんちゅうか乗りつぶすためだけの旅に虚しさみたいなのをおぼえてそれ以降乗りつぶしオンリーの旅には出なくなりました。社会人になっての8年で乗りつぶした路線は仙石線、陸羽東線・西線、北上線、田沢湖線、釜石線、八戸線の7路線。学生時代に残した東北の各線を焦ることなくのんびり乗りつぶしてます。・・・おっとまた前置きが長くなったな。
今回のルートは仙台から小牛田経由で石巻・気仙沼線直通の快速「南三陸1号」で気仙沼。そこから大船渡線・三陸鉄道南リアス線を通り釜石へ。そして山田線を乗り通し盛岡からいわて銀河鉄道・青い森鉄道・東北本線を乗り継ぎ青森までの「鉄」分たっぷりののんびりローカル線の旅。石巻線・前谷地ー女川間、大船渡線・一関ー気仙沼間を乗り残すもののまぁこいつはしょうがないと諦める。しかし2008年はアホみたいに山ばっかり登ってたから久々の乗りつぶしの旅ですわ。
まず梅田を出たバスは仙台めざしひたすら東へ。東名を走るのかと思いきや米原からは北陸道へ。「ほぉ~そう来たか」と思いつつ夢の中へ。途中雨ザーザー振りだったことと富山とか新潟のへん通ってたような記憶があるもののあとはほとんど寝てました。仙台へは予定よりおよそ1時間早い7時半過ぎに到着。「こいつはもしや乗り残し区間の石巻線・前谷地ー女川間を乗りつぶせるか?!」と鉄のバイブル「JTB時刻表」(大判)で時刻を確認。残念ながら女川まで行ってしまうとその日のうちに青森までたどり着けないことが判明。それならばと今度は第3セクターの未乗線「仙台空港鉄道」で仙台空港往復を目論んでみるもこれをやってしまうと仙台8:51発の快速南三陸1号に乗り遅れてしまう。結局1時間早く着いたというアドバンテージも何の役にも立たず仙台駅で1時間余りの列車待ちをしたのでありました。 という感じで今日は結局仙台出発するとこまで行かんかったなー。  では続きはまた次回!!!

 

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1977/09/23
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さらりーまん
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登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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