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ちょっと前、1月9日の話。今年の初登りに行ってきた。行先は比良山系の蓬莱山。といっても蓬莱山が目的地ではなくびわ湖バレイの山頂駅(打見山)から蓬莱山をへて女郎ヶ池をめぐりその後権現山へ。そこからピストンするかそのまま麓へ下山するかはその時の気分に任せようと思っていた。当日、川西池田発7:24分の列車で向かい尼崎からは湖西レジャー号と名付けられた新快速で湖西線の志賀駅へと向かう。川西池田でも冬山装備の登山者の姿が散見され尼崎にもしっかりと冬山軍団が登場。さらに大阪からも「湖西線レジャー号」に乗り込んできた。そういやこの時期の早朝の近鉄電車は樹氷目当ての登山者で満員になる。行く先は高見山と三峰山だ。列車は山科から湖西線へと入る。堅田辺りまで来ると辺りは雪景色となる。志賀駅に到着し琵琶湖バレイ行きのバス停へと向かう。冬山装備の登山者もたくさん降りたのにバス例に並んでる登山者は見える限りで僕を含めてたったの二人。歩いて山の方向へ向かう人々が圧倒的に多い。
バス停にはスキー場へと向かう人々が長蛇の列を連ねている。「乗れるんかいな??」と少し心配になる。実は今回のこのルート、2年前にも計画したことがある。その時もこんな感じだった。ちなみにこのときは蓬莱山から女郎ヶ池へと向かい途中でずぼずぼ埋まる新雪に行く手を阻まれ泣く泣く引き返していた。バスが来て次次と乗り込んでいく。僕もなんとか乗れたけど車内は通勤電車さながらの混雑ぶりだ。しかし発車まではまだ時間がある。実はこのバスが発車するまでの間に京都からの各駅停車が志賀駅に到着する。そこからの乗客もいると予想できるけどはたしてこのバスのどこにその人たちが乗るスペースがあるのだろうか・・という心配をするほどにバスはぎゅーぎゅー詰めだった。はたして件の列車からの乗り継ぎ客がやってきた。「もう無理!!」ってほどひしめき合って全員乗車。バスはびわ湖バレイへ向けて走り出した。
まぁ百名山についていえばいい訳もある。数だけを稼ぐのならば夏場の北アルプス縦走の4日間を別の山につかえば数は稼げた。妙高・火打、金峰・瑞がき(がきの漢字が出せん・・・)なら1の山行で2峰稼げる。これに日帰りの山を一つ追加すれば4日で3峰稼げてしまう。だからぶっとばせば日帰りで往復できる常念に4日も費やすことに正直迷いもあった。でもこれでよかったと思っている。百名山だけが山じゃない。数を稼ぐためだけの山行ってのも虚しいもんだ。家族持ちのサラリーマンが4日がかりの縦走なんてそうそうできるもんじゃない。だから百名山の数は稼げないけど、クオリティーの高いこの4日がかりの縦走はやってよかった。まぁこれからも忙しない山行ではなく「質の高い」山行をしていきたいもんだ。
宝塚に向け、ひとまずは塩尾寺を目指して進みゆく。しかし今回からの相方、GPSのe-trexのVENTUREはホントに優秀だ。ロストはしないしここまでスタートから13時間余りたつというのにバッテリー交換なしで頑張っている。前任者のGEKOよりも電池の容量が大きいとはいえ(GEKOは単4が2本。VENTUREは単3が2本)それでも余りあるほどに性能的には雲泥の差だ。泊まりで縦走するときや雪山に入るときなどはこれまで単4の電池を何本も持って行かなければならなかったけどこれからは予備で2本持って行けば充分そうだ。充電式の単4電池が大量に余っちゃうなぁ。まぁヘッドライトで使う分以外のものはテレビのリモコン用あたりで第2の人生を送ってもらうことにしよう。縦走の方は休むことなくてくてく歩き続けて岩倉山までやってきた。もうだいぶしんどい。塩尾寺への最後の下りにさしかかる。悪路にやられてだいぶひざにきている。とりあえず塩尾寺に着いたら休憩だ。下へ下へと歩き続け、集団の先頭の方から「やっと着いたー!!」という声が聞こえてきた。やっと到着だ。山道からアスファルトの道へと下りてきた。そして僕はへたり込んだ。「疲れた~」。しかし周りは誰一人として休むことなく歩き続ける。「なんなんだこの人たちは??サイボーグかよ。」 膝が痛そうな人たちも続々と下りてくるけどみんなそのまま歩き続ける。僕はというと座り込み薄皮のチョコパンを胃に放り込む。
ゴールに向け再び歩き続ける。ここからゴールまでも自転車でいえばかなりのレベルの激坂だ。痛めた膝を急角度のアスファルト道がさらに容赦なく痛めつける。毎回思うけどホント山の神様が全力で膝を破壊しにかかってくるようだ。背後から何十人という人々に追い越される。しかし僕に追いつかれる人は皆無だ。膝が痛いだけでなく体が重くてしょうがない。甲子園大学の横を通ってでっかい溝のような川にそって下界を目指す。もう根性だけというか惰性に任せて歩いてゆく。そして20時23分、ついに完走。かかった時間は14時間40分。去年よりは1時間半くらい早い。しかし去年はお腹の中の大魔神の影響でトイレがあるごとにマーキングをしていたし渋滞も今年と比べてひどかった。まぁ今年は5時前から並んでたから渋滞に関して言えば少なかった。それを考えると昨年のトイレタイムと渋滞時間を差し引けば劇的に短くなったとは言えないような感じなのだが・・・。それでもまぁ自分的には頑張った方だと思う。ただし4回目ともなると感動が昨年よりも少ないように感じる。去年はお腹からして調子が悪かったので「もう駄目かも・・・」と何回か思ってしまった。逆にこんな気持ちになりながらのゴールだったので感動もひとしおだったのかも。まぁ今年の反省点は摩耶山で体を冷やしてしまったこと。あとは塩尾寺からゴールまでのグダグダっぷり。この2点を改善すれば来年はもっと早くゴールできるはずだ。まぁ六甲山全山縦走大会は競争じゃないんだけどね。 終わり
PS・・・このあと今年も足湯につかって帰った。極楽すぎる時間であった。
さぁ、ついに後半戦の核心部に突入だ。ここから先、宝塚までの13キロの道のりは非常に過酷だ。これまで11時間以上歩いている。その体に鞭打って急で狭くて滑りやすい、一言でいうと「悪路」な下りを進んでいく。今回の縦走では摩耶山の登り、宝塚への下りを最も重視していた。でもってここからの下りは蟹工船的に「地獄さ行くだで」な下り坂だ。最終チェックポイントを出発し車道を少し歩いて宝塚への山道へと突入する。辺りはもう暗くなっている。ボランティアの人が「そろそろライトをつけてくださいね」と声をかけていると一人のおっちゃんが「ライト持ってない」とか言ってるではないか。なんと全縦を(つーか山を)ナメたおっちゃんなんだ。ボランティアの人も困惑しながら「もうすぐ真っ暗になりますよ」と言っている。それでもおっちゃんは下り始めた。僕の前を。僕の前を僕のライトに照らされながら歩いている。完全に僕のライトの明かりにのっかって歩いている。なんなんだこのおやじは!!!ライトを持ってきてないことにも開いた口がふさがらないがこの行動にもこのびっくりだ。人のライトで下るなんて厚かましいにも程があるぞ。こんなことするならせめて一言あればこっちの気持ちも少しは治まるけど黙ってこれはないだろ。こんなオヤジに付きまとわれるのはまっぴらごめんなので10分足らずでこのおやじを追い越した。追い越しざまにオヤジは「えっ??」とかいってたけどそんなの知ったことか。後ろにはまだ何百人と人はいるんだからその中で誰か優しい人にでも助けてもらいな。
真っ暗のなかを一人歩く。この辺まで来るとふとした瞬間に一人旅になる時間がままある。しばらく歩くと先行者の集団に追い付いた。その後も一人旅と集団歩きを繰り返し大平山までやってきた。ここから少しだけアスファルトの車道歩きだ。いつもならここまで来るとバテバテでへたり込んでいた。しかし今回は休むことなく歩き続ける。再び山道に入り大谷乗越で車道をわたりさらに東六甲縦走路を宝塚へと進んだ。
5分ほどまったりして再び歩き出す。記念碑台まで来て車道を外れてゴルフ場方面へ。この辺まで来るとだいぶ疲れがたまってきた。後ろから来る人に追い越されることが多くなりそのまま引き離されていく。ガーデンテラスには着いたのは16時過ぎ。エネルギー補給で10分ほど休憩。再び歩き出し極楽茶屋までやってきた。ほとんどの人はここから再び車道を歩く。しかし僕は行列から外れ一人山道へと入っていく。みんな車道を歩くけど本来の全縦コースを進む方がクネクネ曲がりくねった車道を歩くよりも一直線に進めて距離が短い。みんなアップダウンを嫌って車道を歩くんだろうけど実際、全縦コースを歩くと自分がショートカットしてるのがよくわかる。去年は次官が遅かったので真っ暗の中、一人で歩くのが怖かったけど今年は夕闇は迫ってきているもののまだ明るさが残っている分気持ち的にも楽だ。トンネルをくぐり最後のチェックポイントに着いたのは17時。去年よりも1時間以上早い。ここででも最後の決戦に備えエネルギー補給。そして最後の一本となったパワージェルを投入。最後の一本は梅味。これが一番飲みやすかった。次買うときはこの梅味かメイタンのサイクルチャージにしとこう。
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