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2008年12月23日
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今度はフロントで大型の時刻表を借りた。那須塩原までは昨日乗ってきたりんどう号で下りる事が出来る。問題はそのあとだ。東北本線のページで那須塩原ー宇都宮間の距離を調べると約50キロ。なんだ、思ったより近いじゃないか。これなら自転車を手に入れれば余裕で帰れるぞ。こんなこと大手を振ってはできんが麓で自転車を買って宇都宮で乗り捨てよう。もしくはその辺を歩いている人にプレゼントしよう。そして那須塩原、黒磯、西那須辺りのホームセンターに片っ端から電話した。   「自転車売ってください」
しかし僕のもくろみはすべて全て外れた。電話をかけると店員が電話に出る。在庫の確認をすると在庫もある。しかし「買います」と言うと「売れません」と言われる。
僕の考えの及ばなかったことが麓の町で起きていた。麓のお店では地震影響で商品が床に散乱しておりその片付けでお店が営業できるような状況ではなかったのだ。ただしこちらも緊急事態なので事情を話しなんとか個別に対応してもらえないかとお願いした。  「ものに少々キズがいっていようがへこんでいようが一向にかまいません。どうか自転車を売ってください」
しかし全てのお店から「安全にかかわる問題なので売れません」という答えが返ってきた。「自己責任でやります。なんなら一筆書きますから」と粘ったものの結局売ってもらうことはできなかった。
そして覚悟を決めた。  「歩くか・・・」
50キロ・・・。自転車なら余裕だけど歩くとなるとなかなか骨のある距離だ。50キロといいつつこれは鉄道での距離だから国道だと根拠はないけど60キロくらいになるか。六甲山全山縦走大会では山道を56キロ歩く。だから60キロの町歩きならできんこともないだろうが楽な距離ではない。とりあえずフルマラソンの距離よりも長い・・・。
早速会社の人に電話する。しかし公衆電話からかけているせいかなかなかみんな捕まらない。やっと電話に出てくれたのは隣の部署の課長だった。僕のこの状況を説明し「月曜日、会社行けないかもしれません。もしかしたら火曜日も・・・」と話すと「とりあえず仕事のことはいいからとにかく無事に帰ってこい。」との言葉を頂いた。阪神大震災を経験しているからかいちいち説明しなくてもこちらの状況を分かってくれる。とりあえず方向性が決まったので準備に向けて部屋に戻った。
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とりあえず食事。しかしここの食事にはとても感心した。バイキング形式なんだけどその場で焼いてくれるステーキはあるわ刺身はあるわ栃木だけに焼きたての宇都宮ギョウザ等など美味しいものがたくさんある。いつもは一泊素泊まり4000円くらいの宿にしか泊まらない僕にとって2食付きとはいえここの宿泊費1泊8900円は当初高すぎるように感じた。しかしこの食事を見て温泉宿でこのグレードの食事がつくならこの金額は悪くはないと思った。食事の最後は地元のイチゴ「とちおとめ」とアイスクリームで締めくくった。お腹は満たされたけどこの日のメニューの一つ、気仙沼産のさんまの開きを見ると罪悪感も感じた。
部屋に戻り再びテレビをつける。これまで被害の情報が入ってきていなかったエリアについても少しづつ未確認ながらも情報が入ってきていた。町全体が壊滅しているところなども多数あった。その中で衝撃的だったのが仙台の若林というところで遺体が200~300発見されたいうもの。ショックで絶句した。今回の震災の被災地は2年前と1年前にJRの乗り潰しで旅したエリアだ。仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、釜石線、山田線、三陸鉄道、八戸線・・・楽しく車窓の風景を眺め、いい思い出のある沿線の町がこんなひどいことになって気持ちが沈む。三陸鉄道の田老のあたりでみた防潮堤。ちょっと異様な景観に「あれはなんだ?」と家に帰って調べてみた。そしてそれは津波被害を防ぐために造られたものだと知ってリアルに津波の怖さを感じた。あの田老の町は大丈夫だったのだろうかと気になった。
その日の夜はテレビをつけたままベットで横になった。次々と情報が入ってきたり真夜中に枝野さんの記者会見があったりとにかく非日常的な夜だった。寝たのか寝てないのかよくわからないまま夜は明けていった。
a6340de3.jpegバスの発車時刻まで20分ほど時間がある。自分の席を確保してから再び車外へ。駅には「生乳生産額本州一」の垂れ幕がかかっている。これは牛乳大好き人間として飲まないわけにはいかない。駅の2階の地元の特産品を売ってるお店でビンの牛乳を購入。うまい!
再びバスに戻り出発を待つ。初めは僕を含め3人しか乗ってなかったけど出発間際にちょいちょい乗ってきて最終的には10人ほどになった。
定刻の14:45分、大丸温泉に向け出発。今日は登山口のまわりを偵察して明日のためにゆっくり休もう、そう思っていた時だった。   「ん???」
なんか空き地に停まってる車が激しく上下に揺れている。「なんじゃありゃ??」と思った瞬間、僕の乗ってるバスもぐらぐら揺れ始めた。バスが急停車し運転手氏が「地震です!!!」と叫ぶ。路肩に変な形で停車する。まわりの車もすべて停まっている。バスは停まっても揺れは収まらない。地面から突き上げるような衝撃が伝わってくる。乗ってる僕もシートから飛び上がりそうになるほどの激しい縦揺れだ。しかも揺れはなかなか収まらない。1分以上は続いたと思う。バスの中にも悲鳴が上がる。
ようやく揺れも収まり再びバスは走りだす。その後ろからパトカーがサイレンを鳴らしながら追い越して行った。
窓の外を眺めているとみんな建物から外へ出てきている。家の中にいるといろんなものが倒れてきたりするから怖いんだろうな。
僕はある意味ほっとしていた。以前、18きっぷで開聞岳を目指しているときのことだった。ムーンライトで博多入りし、乗り残していた福岡市営地下鉄を乗り潰しそのまま西鉄宮地岳線(当時)で和白を経由して再び博多に戻った。そこから再び鹿児島を目指し南福岡に到着したその時だった。どういう理由だったかは憶えていないが(特急の通過待ちか車両の切り離し・・・う~ん、憶えていない)列車から降りてホームを歩いていると「ごーっ!!!」という音とともに激しく地面が揺れた。福岡県西方沖地震だ。とりあず横に停まっていた列車に飛び乗った。列車はぐらぐらと激しく左右に揺れてようやく揺れが収まった時、九州全域でJRは点検のため運転取りやめ。「山は無理かもしれんな・・・」と思いながらも色々あってなんとか鹿児島中央の駅に着いたのは夜中の1時過ぎ(2時近かったかな??)。大きな地震が起こると線路が長いJRの場合は点検にめちゃくちゃ時間がかかるというのをその時に身をもって体験していた(福岡市営地下鉄と西鉄大牟田線はJRよりも早く復旧していた)。
なので地震が起きたのが列車を降りた後だったのはある意味幸運だったと思っていた。もし列車の中であの地震にあっていたら相当長い時間列車の中で缶詰めになり大丸温泉へのバスにも乗れていなかっただろう。
一応嫁と親に無事ですメールを送った。地震の後で繋がりにくくなっていたのかなかなか送信できず何度も送信を繰り返した。
DSCF6735.JPGバスに乗っているとなかなか感じにくいがその後も余震が続いていたようだった。信号待ちをしていると横の道路標識が揺れていたり、建物の中から人が飛び出てくるのを目撃した。
その後バスは混乱もなく僕の宿泊する「休暇村 那須」に到着。チェックインするとフロントでエレベーターが現在止まっているとの説明を受けた。まぁあんだけ揺れたら停まるわなと思いながら階段を上り自分の部屋に入る。よっこらしょと荷物を置きテレビをつけた。   「何これ・・・・」
画面には燃え上がるコンビナートや水浸しのディズニーランドの駐車場が映っていた。その映像の横には「東北・関東で大地震」の文字があった。あの地震でこんなことになってるなんて思いもしなかった。画面は八戸港の様子に変わった。でっかい船が横倒しになって津波が押し寄せている映像だった。水かさがすごい勢いで増していき次々とまわりの物を飲みこんでいる。とても日本で起きていることだとは思えなかった。
13:07分、宇都宮に戻った。まだ昼飯を食べていない。次の列車までの時間は30分弱。ここは宇都宮名物の餃子を食べに行くしかないだろう。駅近にはいくつか餃子のお店があり、特に理由はないけどその中の「餃子村本店」に入った。店に入り早速チャーハンとラーメンとギョーザのセットを注文。出てくるのを今か今かと待ちわびる。
列車の発車時刻は刻一刻と迫ってくるが肝心の注文したものがなかなか出てこない。僕の乗る黒磯行きの列車は12:36分発だ。時刻は12:20分をまわりさすがに焦ってきた。21分、22分と過ぎ「もうキャンセルして店を出よう」と思った12:23分、ようやくチャーハンがやってきた。引き続きギョーザ、最後にラーメンがやってきた。正直ゆっくり味わって食べている時間はない。チャーハンをかき込みラーメンをすすりこむ。熱い!!ほとんどダチョウの竜ちゃんの状態だ。お味の方はというとかきこんでよく味わっていないという点を差し引いても「う~ん・・・」  酷評過ぎるかもしれんがチャーハンの具がハムとかまぼこってとこに家で食べるチャーハン的なものを感じラーメンもなんかお家でも食べれそうな感じのものだった。しかしギョーザはうまかった。これならシンプルにギョーザ定食みたいなのにすればよかった。そっちの方がたぶん出てくるのも早かっただろうし・・・。
DSC_3552.JPG急いで駅に戻り列車に乗り込む。定刻に宇都宮を出発し列車は那須塩原を目指す。空を見ると何だか雲行きが怪しい。そして那須塩原に着くころにはなんと雪が舞い始めた。う~む、なんということだ。天気予報は晴れのはずなのでは・・・。列車を降り駅のスタンプを押しバスターミナルに下りる。すると僕が乗る宿行きのバス、「りんどう号」はすでに到着しており乗客待ちの状態だった。
参拝料を払いいざ東照宮へ・・・と思ったものの巫女さんに「まずはお庭からご覧ください」と背後の庭から見ろと言われる。時間もないことだし僕的には東照宮だけ見れりゃそれでいいのだがさすがに無視していくだけの度胸DSC_3494.JPGはないので庭へと向かう。さっさと順路を進むとゴールは宝物殿へと続いており特に興味はないんだけどフラフラと吸い込まれていった。ざっと中を見回してお次は輪王寺の中へ。この中もきょろきょろ周りを見回しながらも足早に先を急ぐ。順路を進み外に出てついに東照宮へと進む。勝手な思い込みからか東照宮へと続く道にはなにか襟を正さねばならんようなものを感じる。鳥居をくぐり表門をくぐる。「おぉ~!!」なんか日本史の教科書で見たことのあるような無いようなとりあえずありがたそうな建物が並んでいる。ここにDSC_3502.JPG「見ざる言わざる聞かざる」の建物もあった。さらに進むと「おぉぉぉぉ~!!!」これは間違いなく日本史の教科書で見たことのある建物が現れた。そのきんきらの門は「陽明門」というらしい。ひとまずこれは写真を撮らねばと何枚かパシャパシャシャッターを切る。その門をくぐると東DSC_3509.JPG照宮の核心部とも呼べるようなありがたさMAXの建物群が並んでいる。しかしここの一番重要そうな建物も只今工事中だ。シーズンオフだからなのか工事真っ盛りだ。ここの中にも入れるようだが時刻は11:40分を回っている。そろそろ駅に戻らなければならない。しかしここをパスするのはさすがに憚られる。迷った末に靴を脱ぎ中に入った。こうなりゃ必要最低限のところは抑えて帰りはタクシーだ。ちなみに12:26分発の列車を逃すとどうやっても那須塩原から宿に向かうバスに乗れない。次の列車で宇都宮に向かい新幹線で那須塩原に向かっても14:45分のバスの時間に間に合わないのだ。というのが那須塩原駅は大半の新幹線は通過してしまう。1時間に1本、なすのが停車するだけの駅なのだ。というわけで是が非でも日光発12:26分の列車に乗らなければならないのだ。
大急ぎで中を見学する。中身もあっちこっち工事中だ。見学を終え外に出る。時刻は12時前。これはいかん。
急いでタクシーの乗り場に急ぐ。タクシーが停まっていなかったらどうしようと恐る恐る乗り場に向かうと2台停まっていた。「助かったー」
タクシーで山を下り一路日光駅へ。無事、列車にも間に合い宇都宮へと戻って行った。
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1977/09/23
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さらりーまん
趣味:
登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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