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2008年12月23日
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5月4日。起床は5時。雨は止んでるけど地面はぐっしょり濡れている。ただでさえ撤収に時間がかかるのに地面が濡れてたりするとさらに時間がかかる。
とりあえずは朝飯。マルタイの棒ラーメンを一気に2食分食べる。その後トイレだコンタクトだ歯磨きだと身の回りの準備を済ませ撤収にとりかかる。テントのポールを抜くと「な、なにぃ~!!!」
なんとポールが大きくひん曲がってるではないか。これは昨日テントに突っ込んできたおばはんの仕業に違いない。「あのばばぁぁぁぁぁ~!!!!!!」
ライペンのカタログには「ポールは曲がるものです。無理にまっすぐに治すのは破損の原因になります」的説明が書いてあったのは覚えていたけどこれは曲がりすぎだろ。やってはいかんと思いながらもなんとかまっすぐにしてやろうとひん曲がったポールと格闘する。しかし曲がったポールは元に戻らない。時間だけが過ぎ去っていき時刻は7時をまわった。「ダメだ。あきらめよう・・・」
DSCF8830.JPG
横尾をスタートしたのは7時20分。横尾大橋を渡ってしばらく行くと雪が現れた。しかしアイゼンを付けるほどではない。ガスにかすむ屏風岩を眺めながら歩くこと1時間。本谷橋へ到着。ここでアイゼン装着。あと2時間ほどで涸沢のヒュッテに到着するはず。
一息ついて再び歩きはじめる。すると間もなく雨が降ってきた。しばらくは雨具を着ずに踏ん張っていたけど雨足は強くなる一方。とうとう観念して雨具&ザックカバーを装着した。つーか自宅で確認した天気予報だと今日の天気は曇りで降水確率は30%だった。う~む、やっぱ山と街では天気予報も違うのか。
DSCF8848.JPGさらに先を進むと景色が開けてくる。ずっと先までまるでありんこの行列のように登山者の列が連なっている。いい景色だ。




DSCF8857.JPGやがて前方に涸沢ヒュッテのこいのぼりが見えてきた。他の人のブログなんか見ているとこのこいのぼりが見えてからが長いという意見が多い。ただそういう人は上高地から一気に涸沢まで上がってきた人だろう。横尾スタートの僕なんかは特に苦しむこともなくヒュッテに到着した。DSCF8888.JPG時刻は10時半。予定通りだ。この時間でもすでにテン場にはテント村が出現している。
予定では30分でテントを設営し身支度を整えて涸沢岳に登るつもりであった。しかしこの天気。一瞬晴れ間がのぞくこともあるけど雨は降ってるし風もある。天候が安定しない。ただ登るのならばぎりぎりの時刻だ。遅くとも15時には涸沢まで降りてこなければならない。
迷った末に登るのはあきらめた。山頂はガスって見えない。さらに登っていく人よりも降りてくる人たちの方が圧倒的に多い。雨もふり風もある。ここはやめとくのが妥当だろう。アタックは明日かけよう。
風雨の中テントを設営する。荷物を濡らしたくないので焦って設営するとフライシートを裏表逆にしてしまった。しかし雨が降っているのでこのままで良しとする。ベンチレーターがつながっていないのでなんだか間が抜けてるけどもうこれでいい。ペグも適当に踏んづけて雪の中に埋めておいた。しかしこのいい加減な設営があとでとんでもないことを引き起こすのだが・・・。
適当に設営したテントの中に急いで逃げ込む。今回が初の雪山での幕営だ。冷てぇな~。テントの下にグランドシートを敷いてはいるものの薄い布きれ2枚を隔てた下からは雪の冷気が容赦なく伝わってくる。防水のためテント内にもグランドシートをひく。それでも冷気は全く防げない。まぁその辺は想定内でその上からアルミのテントマットをひくと冷気を劇的に遮断できた。すごいぞ、アルミのテントマット!!その上からエアマットを敷きシュラフカバーを被せたシュラフをセットする。いやー我ながら完璧だ。フライシートのベンチレーターが反対側についてるけどとりあえず涸沢テント村の一員になったぜ。
DSCF8899.JPG寝床の準備ができたのでテン場の受付がてら外に出る。涸沢に来たらあれを嗜むしかないでしょ。そう、生ビールとおでんだ。穂高連峰を眺めながらビールとおでん、今回はこれをやりにここまで来たといっても過言ではない。
生ビールとおでん6品、占めて1400円也のセットを注文。屋根つきの席は満席なので屋根なしの席に座る。雨の降りしきる中、雨具を着ておでんでビールをぐびっと飲む。山を知らない下界の人から見たら「この人は何をやってるんだ??」と思われそうだけどここは聖地涸沢。これをやりに集まってきた登山野郎がみんな同じ格好でおでんをあてに昼間っから飲んでいる。雨粒が容赦なくおでんやジョッキの中に入ってくるけど細かいことは気にしない。周りの山々がガスって上の方は見えないけどそれでもいいのだ。涸沢でおでんをあてにビールを飲む。この行為こそが生きてることの証だ。(←意味不明)
とか言いつつもこの天候なので早々に切り上げてヒュッテに天気予報を見に行ったく。ヒュッテのテレビでは24時間やってる天気予報の番組(CS)がやっていた。そこで目にしたのは本日の天気は朝から深夜の0時まで雨ですという予報。二日前の夕方の天気予報とは全然違うではないか。ただ明日は晴れるらしい。とりあえず今日の夜中の0時まで我慢すればいいんだな。そして水場で水を調達してテントに戻った。
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DSCF8800.JPG横尾でまったりする。我が家の建設(テント)も終わり寝る準備もできた。そこで早めの夕食だ。まだ15時過ぎだけど気にしない。今宵(?)の晩飯はフリーズドライのチーズリゾット。写真で見るとまずそうだけど味はまずまずだった。




DSCF8804.JPG食事が終われば晩酌タイム。山荘であてと缶ビールを調達。山を眺めながらちびちびやる。で、隣の人の山談義に耳を傾ける。となりにはよくしゃべるアラフォー世代の2人組がおとなしい単独行の若者にいろいろ話しかけていた。聞くところによるとこのおとなしそうな若者、なんと中房から燕、常念、蝶と縦走して長塀尾根を下りてきたらしい。いやー厳冬期ではないにしろすごいな。2年前の夏に僕がやったルートだ。しかし僕は思った。「長塀から降りてきてなぜ横尾にいる??」
しかしその謎はすぐに解明された。明日また蝶に登り返すらしい。横尾から。いやーストイックだなぁ。
お金もないのでビールは1本だけにしといてとっととテントに戻る。そして特にすることもないので寝ることにした。
夜目覚めるとなんと雨が降っているではないか。今日の天気予報では12時までの降水確率が90%、その後は回復傾向で夜の降水確率は30%だったのに・・・。昼間は天気予報が外れてラッキーとか言ってたにも関わらずいざ予報が外れて雨が降ると「ちきしょ~外しやがって!!」とぷりぷりしながら再び眠りについた。
そしてしばらくして目覚めた。何かがいきなり覆いかぶさってきたのだ。寝てる顔にテントの外からドカッと何かがのしかかってきた。一瞬「クマか??」と思い全力で押し返す。すると小さな声で「すみませ~ん」という女の声が聞こえた。つーか人間かよ。どこのおばはんか知らんがホント勘弁してほしいわ。このおばはんはとっとと行方をくらませたがそのあと僕は雨の降る中テントロープを張りなおす羽目になった。
 
5月3日、起床は6時半。となりのひるがのSAでチャーシューメンを食べ沢渡に向かう。あかんだな駐車場からバスという手もあるけど待たずに乗れる沢渡まで行くことにした。
沢渡では茶蘭の駐車場に車を停めた。時刻は9時半。そしていざ上高地へGO!!上高地へ向かうときはいつもこの上ない幸せを感じる。しかし毎度のことながら左手に見える梓川沿いの崩落地、恐怖すら感じるほどの凄まじさだ。
上高地で早めの昼食をとる。カレーだ。カレーはうまい。たとえ12時間くらい前にカレーを食べたとしても全然OKだ。
トイレだなんだで出発は11時過ぎ。そして横尾を目指す。そう、今日の目的地は横尾に決定である。それは昨日寝る前には決断していた。やっぱ4時間は寝ねばならんし寝不足で涸沢の登りというのもいかがなものかと。ならば初日は横尾でやめとくかという判断だ。
DSCF8744.JPGとりあえず上高地に来たからには登山の安全を祈って河童橋にご挨拶。相変わらず観光客多し。最近はどこの観光地に行っても中国人も多し。
空から雨がパラパラ落ちてきた。出発前に見た天気予報では今日の天候は雨。降水確率は90%。曇りではあるけどぱらつく程度で本降りにはならない。前日も天気予報では大荒れの天候とか言ってたけど全然大したことはなくほとんどワイパーを使うことはなかった。「天気予報はずれてよかったわー」なんて思いながら渋滞にはまってた。それでも新名神の亀山の辺が大雨で通行止めになっていたり、JRの方もあの辺は運休になっていた。荒れたところではしっかり大荒れだった模様だ。
DSCF8760.JPGDSCF8777.JPG







梓川を眺めながら横尾を目指す。徳沢に到着。時刻は12:45。まだ時間が早いからかまだ空いている。さらに進みと夏道が通行止めになってて梓川沿いを歩くルートになっていた。横尾には13時35分に到着。まだまだ日は高いが(曇ってて出てないが)今日はここで行動終了。テントを張ってのんびり過ごすことにした。



 
いつもの如く中国豊中から高速に乗る。しかしいきなり渋滞情報。とりあえず茨木のへんで4キロ。その後は栗東の辺で13キロ。GWだけに予想されていたことではあったけどこれはやばい。希望は遅くとも9時過ぎには上高地を出発し16時には涸沢に入りたい。
しかしながらこの渋滞。茨木の渋滞は大したことはなかったけどそこから次々に現れる10キロ単位の渋滞にはほんとに辟易した。瀬田東ジャンクション付近から始まりそれが米原を過ぎるまで断続的に続いた。いつもは多賀のSAでステーキ丼+小うどんのセットを食べる儀式があるんだけど全然たどり着く気配がなかったので草津のPAでカレーを食べた。
結局滋賀を通過するのに3時間余りを要した。北陸道を右に分けるとやっとこさスムーズに流れ始めた。時刻はすでに1時をまわっている。しかしさすがにそこはGW、交通量は多い。一宮から東海北陸道に入る。するとこれまで混雑が嘘のように全く車が走っていない。まるで貸し切りのサーキット状態だ。スイスイ進んでいると電光表示板に「事故車有り」という文字を発見。すると少し走ったことろで右車線のガードレールに突っ込んだ車を発見。ハザードをたいて停まっているけど周りにはだーれもいない。JHの車やパトカーも到着していないところを見ると事故りたてほやほやの通報ほやほやの状態だったようだ。
その後ひるがののSAまで行きたかったけどぎふ大和PAで力尽きた。時刻はすでに2時半をまわっていた。
涸沢に行ってきた。いろいろ勉強になった山行であった。
5月2日、仕事が暇だったので会社を16時半に脱出。しかしまっすぐ家に帰るもすぐには出発できない。当初の予定では5日の深夜、もしくは6日の早朝に帰宅する予定であった。しかし当初の山行計画を変更。急きょ涸沢からさらに上、涸沢まで登ることにしたのだ。ネットでこの時期の涸沢の情報を収集しているうちにみんなさらに上まで行っていることを知り、さらに奥穂には手が出せなくても涸沢岳なら危険もなく登れるということ知った。ということで涸沢岳に登ることにした。てことで帰宅予定が遅れる可能性が出てきたので嫁が帰ってくるまでのノルマである風呂の大掃除とトイレ掃除、それと洗濯までを一気に片づけて出発することにしたのだ。これらをせずに6日の夜にでも帰ってこようもんなら半殺しの刑は免れない。
そんな雑務をこなし風呂に入ったりなんかするうちに時刻は22時をまわっていた。これはやばい!!とっとと荷物をまとめいそいそと出発した。今回の計画では3日間で上高地から涸沢岳を往復する。その内訳というのはその日の行程によって変わるので流動的だ。とりあえず5月3日、希望は上高地から涸沢まで上がりたい。そうすれば4日に涸沢岳を往復し5日に悠々上高地にくだることができる。その初日が徳沢なり横尾でとまってしまうと翌日以降の計画がずれてくる。2日目に幕営地から一気に涸沢岳を往復できれば最終日の行程は予定通りになるけどそれができなければ最終日に涸沢岳を往復してから一気に上高地にくだることになる。最終バスの時刻は17時。これに乗り遅れれば小梨平でキャンプして翌日の始発で帰宅することになる。そうなればGWの最終日の大渋滞に巻き込まれるのは必至なのでこれだけはどうしても避けたい。
さてどうなる!?
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1977/09/23
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自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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