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2008年12月23日
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これまた土曜日の話。仕事帰りに会社の近く、西九条の駅のところにある本屋でこの日出たばかりの「岳」の最新刊を購入。その日のうちに読破。最後にあるおまけのところで涸沢フェスタのことが書いてあった。そこのところを読んで「涸フェス行きてぇなぁ」と思った。一昨年は奥穂に登ったから今回は北穂にでも登ろうかな。まぁ別に登らなくても涸沢でボーっと過ごすのもありかも。涸沢からの絶景を肴に昼間っからビールとおでん。いいねぇ。涸沢まで行って山に登らないとは以前までのガツガツ系の登山に勤しんでいた時代とはちょっと気持ちが変わってきた。ここ数カ月で体だけでなく心も丸くなってきたなぁ。まぁいいや。今年の夏の終わりは涸フェスで決まりだ。今年はなんとまだ一回も山に登っていない。今年のロードの初乗りは済ませたから近いうちに初登りも済ませよう。
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今日、家に帰ってきてネットで山岳事故をチェック。旅の間は特に山の事故のニュースは見てなかったので今年はみんな大丈夫だったのかなと思っていたらやはり起こっていた。奥穂を目指した神戸の3人パーティー。一人が遺体で発見。他に奥穂に入ったパーティーもいただろうけど年末の大荒れの天候で3人でのラッセルはきつかったろうと思う。もうひとつ、「北ア・寺地山で7人パーティーが救助要請」というのを見て「えっ!?」と思った。そこに「山田哲哉さんら云々~」と書いてあったからだ。山田さんといえばヤマケイとか岳人読んでる人なら名前くらいは見たことあるはず。山岳ガイド「風の谷」の主宰者だ。家にも昔買った山田さんの本がある。しかし今の僕にはあまりいいイメージはない。それは去年剣岳に登った時のこと。剣沢のテン場でキャンプをしてた僕の斜め前に「風の谷」と書かかれたテントがあった。「あー、山田さんとこのだなー」と思ったものの中には人の気配はない。その時は特に気にするとこもなく就寝。すると夜中の11時過ぎ(12時前だったかも)、クライミングのギヤの音をジャラジャラ鳴らし大声で騒ぎながらテントに戻ってきた集団がいた。風の谷の人達だった。あまりのうるささ&非常識さに頭にきて「うるせー!!!」と叫びたくなった。(結局できなかった。)  しかし他のテントの方が注意をしに行っていた。その場に山田さんがいたのかどうかは知らんが(若い人が多かったと思う)はっきり言って幻滅だった。それ以降嫌いになった。まぁ好きか嫌いかは別にして今回の山行でけが人等を出さなかったのはさすがだなと思った。さらに目指した山が黒部五郎岳だと知って「かぁ~。やってることはすごいわな」と感心した。
年が明けました。今、J-sportsの別府史之のトークショー見ながらブログやってます。何だかんだで北海道から今朝帰ってきました。嫁と子供は実家に戻っているのでとりあえずはポストに入っている年賀状をチェック。数は少ないけど来るべき人からきているのを確認。去年は来てなかったのに今年は僕がロードを買った店、尼崎のサイクルセンターサンワさんからも来ている。今年からみんなに出すようにしたのかな??去年は特にこれといった買い物はしてないんですけど・・・。(ギアの調整なんかではいったんですが)
その中で気になったのがIBS・ICIの両「石井スポーツ」。フォーム、文面が9割9分同じ。どういう関係なのかはこれまでも気にはなっていたけどなんじゃこりゃ??ネットとか見ても関係あるのかないのかイマイチわからんし。とりあえず何らしかの関係はあるとみて間違いないな。京都王将と大阪王将的な関係か??ま、いいや。今のとこ特に買う物とかないし。とりあえず2010年が始まった。
今年ももう残りわずか。ここで今年の山行を振り返ってみようと思う。今年の前半は残業削減の影響で給料が大幅ダウン。その影響で遠出の山行が大きく減りました。2月は滋賀の蓬莱山へ。しかしガスが濃くて結局途中で引き返しました。3月は初旬に安達太良山と筑波山、下旬に大山。安達太良山では猛吹雪の中プチ遭難。いやーパニくりました。4,5,6,7月は残業0政策のおかげで遠征の登山はなし。8月は久々の遠征登山。北岳、間ノ岳に登頂。ホントは白根三山縦走の予定がだったものの途中でへばり縦走をあきらめ広河原に下山。翌日は富士山に登る予定でしたが台風直撃で泣く泣く断念。帰りの電車では台風らしい風も吹かず雨もほとんど降らず静岡を越えたあたりでは晴れ間さえ出てきて「くそー!!行けばよかった。」と悶々としながら川西に帰ってきました。しかし翌日は大地震が来て東名高速がぶっ壊れるという惨事も起こり「う~ん、こりゃ行かなくて正解だったのかも・・・。しかし俺が富士山行こうとするとなんでこんなにうまくいかないんだろ」と山の神様を呪ってました。9月はついに念願の剣岳に登頂。滑落現場に居合わせるという経験もしました。このときは剣岳の後、立山3山を縦走。翌日は常念岳に登頂予定でしたが天気予報は下り坂。雨の中のテント泊は嫌だという事で泣く泣く川西に撤収。しかしこの時も天気は崩れず「ちきしょー!!少々無理しても行くべきだった!!次は少々のことなら突っ込んでいくぞ」と誓ったのでした。10月は30日から11月のあたまにかけて南アルプス仙丈ケ岳&常念岳リベンジ山行を計画。仙丈ケ岳下山後、美ヶ原へ。激しい風雨の中、形だけの登頂を済ませ常念を目指そうとしたもののこのときは今季一番の寒気が襲ってきたのでした。さすがにシーズンオフの平日登山で一人ラッセルともなると身の危険を感じたので予定を変更して浅間山(黒斑山)へ。こっちのほうも天気は最悪。風が吹き荒れガスが立ち込め時折雪が舞う中の山行。悪天のため途中Jバンドの手前で引き返したけどこの山はよかった。浅間山の入山規制が解除されたら絶対再チャレンジしたい山でした。そして今年最後の山行となってしまった11月23日の六甲山全山縦走大会。結果は自分の目指した時間には遠く及ばないカメさん山行でしたが来年は14時間半くらいを目指して頑張りたいと思います。今年の山行はこんな感じ。今年の年末は北海道だけど来年はたぶん無理だと思うんで来年の正月は燕岳行きたいなー。そこに行きつくまでに1年間の強制労働を乗り切らないといけないんですけどね。まぁのんびりとやっていこう。
結局大本命の常念岳には今回も登ることができず浅間山に登ることにした僕。車中泊した千曲川さかきPAから登山口である車坂峠へと向かう。出発したときには朝日がきれいで好天が期待できたものの小諸に近づくほどにどんどん曇ってくる。つーか麓から見上げる浅間山方面は上部がすっぽりと雲に覆われて見えない・・・。今日は11月2日、バリバリの平日である。しかもラジオの天気予報では今年一番の寒気が流れ込む影響で夜から平野部でも雪とかって言ってる。シーズンオフ・平日・下り坂の天気・・・。とても自分の他に登山者なんかいなさそうな感じのもと午前8時、車坂峠の高峰高原ビジターセンターの駐車場に到着。予想通り誰もいない・・・。と思ったら千葉ナンバーの軽自動車が一台ぽつんと止まってた。中に人のいる気配はない。山に入ってるのかどうか微妙な感じである。まぁわざわざ千葉から来てるってことは登ってるんだろうけど・・・。とりあえず中コースから登り始める。黒斑山までは地図のコースタイムによれば1時間40分。それだけじゃ物足りないので蛇骨岳・仙人岳・鋸岳と結び賽ノ河原に降り草すべりを登り返す周遊コースをとる予定だけど天候次第で269.JPGは途中で引き返すつもり。中コースの樹林帯を向け尾根に出る。さすがに火山の外輪山だけあって非常に荒々しい。右側がスパッと切れ落ちている。高度感たっぷりだ。しかしここから見えるはずの浅間山はすそ野をわずかに見せるだけで残りはすっぽりとガスの中に隠れている。そして天気は急速に下り坂に。久々に味わうめちゃくちゃ濃いガスに加えて強い風。コンディション的には最悪の感じです。とりあえず黒斑山へと向かう。ほどなく山頂へ到着。だーれもいない・・・。ここから先へ進むかどうか迷うが時間もまだ早いことfだし行ける所まで行くことにする。しかし火山特有の荒涼とした景観に視界2・30メートルほどの濃いガス。これに加えて強風。なんだか死後の世界に足を踏み入れたようで気味が悪い。とりあえず次のポイント蛇骨岳に到着。予想通りここにもだーれもおらず・・・。ガスはますます濃くなり風もますます強くなる。だいたいこんなシチュエーションで「蛇骨」なんて名前も気持ち悪い。まったくテンションが上がらないまま次のポイント仙人岳へ。黒斑山を通過以降、樹林に入っている間以外は右側がスパッと切れている。地図に危険マークが出ているのもなんとなくうなずける。仙人岳到着。やっぱり誰もおらず。もうここの山域にいる人間はオレだけって感じすらする。つーか282.JPG実際そうだと思う。次は鋸岳へと向かう。とうとう木の葉っぱには霧氷が付き始める。「きれいだねぇ」なんて愛でるような気分には到底ならず、気持ちはどんどん沈んでくる。そして鋸岳の手前、Jバンドへの分岐に到着。時間は11時過ぎ。ここから先へは進まずここで引き返すことを決める。理由は急な下りのがけを目の当たりにして気持ちがなえちゃったから。こんなどぎついガスのなか、だだっ広い賽ノ河原で道迷いするのも嫌だし、この死後の世界みたいな不気味さ加減にも負けてしまった・・・。あと冷静に考えて霧氷が着くほどの天候からしても雪が降り始めるのは時間の問題。雪が降る前に駐車場に戻らないと常夏使用の愛車では麓まで降りれなくなってまう。山行的には何とも中途半端な気持ちながら来た道をすたこらさっさと戻り始める。状況はますます悪くなってきて霧氷のほうは来るときよりもずっと発達してきている。そして蛇骨岳にまで戻ってきたとき「ん??こんな道通ったけ??」と思い地図を開いてみる。どうやら裏コースへと迷い込んでるみたい。このまま進んでも車坂峠までは戻れるみたいだけどこの道は地図上では点線で記された整備されたルートではないコース。ここはひとつ素直に蛇骨岳山頂まで戻ることにする。3分ほどで蛇骨岳まで戻りもと来た道に合流。黒斑山へと向かう。黒斑山へと着いたときそこには男女5人組のパーティーがいた。この天候の中、蛇骨岳方面からやってきた僕を見てびっくりした様子だった。ちょっと話をしたところによるとこのパーティーはここで引き返すらしい。この天候じゃ行くべきでないって言ってた。ここからは車坂峠を目指し一気に下る。表コースという選択もあったけど下山も中コースをとる。樹林の中に入ると吹き荒れてた風からのがれてとても静かになった。うつむきながら下山を急いでいると何かの気配を感じ顔をあげた。目の前には大きなカモシカがいた。一瞬ビビっておしっこもらしそうになったけどなんとか踏ん張る。しばらく見つめあう。だけど逃げてくれない。普通の鹿なら逃げてくれるんだけどなぁと困りながらもらちがあかないのでカモシカの横を通って通過。ちょっと怖かった。そして下山。とうとうあられが降り始める。ビジターセンターで登山バッチを買って近隣の観光パンフレットももらう。せっかくここまで来たことだしいい温泉はないものかと見ていたらすぐ近くに高峰高原ホテルを発見。早く麓まで降りなければと思いながらもついついこの高原のホテルの温泉へと向かってしまう。なんだかいい感じのホテルでフロントの方の対応にも好感がもてた。お風呂には僕一人。この悪天候の平日だからねぇ。いやいや広いお風呂をひとりじめでのびのび浸かる。外は相変わらず風がビュービュー吹いている。しかし僕は温かい温泉につかりながらそれを見ている。いやー極楽極楽。僕と入れ違いでおじさんが一人入ってきた。まぁそれにしても平日の昼下がりに温泉でまったり過ごすなんてホントに贅沢な時間を過ごせた。そして僕は強風吹き吹ける高峰高原を後にし麓へと向かった。
続く
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1977/09/23
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さらりーまん
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登山 自転車 旅 鉄道
自己紹介:
登山、ロードバイク、一人旅が趣味の37歳。メタボの泥沼からなかなか脱出できないがそれは自分の意志の弱さだとようやく気がついた。最近は「食べるな動け!!」をモットーに脱メタボを目指す。
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